にぽぽのお散歩日記

お散歩中の景色、美味しいもの、お気に入りのものを気のむくままに綴っています。

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2019-08-11 (Sun)

唐津 城下町そぞろ歩き その4

唐津 城下町そぞろ歩き その4

ども にぽぽです=*^-^*=いつまでお終わらない唐津城下のそぞろ歩き。そぞろ歩きの域を超えているな。本丸の階段を下りきった突き当りは、昔の二ノ丸にあたる早稲田大学系属 早稲田佐賀中学校・高等学校。エレベーターの方に戻る感じに歩いていきますと、途中で道の分かれ目。左側にニノ丸(現在の早稲田佐賀中学校・高等学校の敷地)の石垣。細身の野良ニャンコが顔を出してました。御住居・学問所の説明板。この中に藩主の住居...

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ども にぽぽです=*^-^*=



いつまでお終わらない唐津城下のそぞろ歩き。

そぞろ歩きの域を超えているな。





本丸の階段を下りきった突き当りは、昔の二ノ丸にあたる早稲田大学系属 早稲田佐賀中学校・高等学校。



20190711-121.jpg





エレベーターの方に戻る感じに歩いていきますと、



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途中で道の分かれ目。



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左側にニノ丸(現在の早稲田佐賀中学校・高等学校の敷地)の石垣。





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細身の野良ニャンコが顔を出してました。





御住居・学問所の説明板。



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この中に藩主の住居と多くの藩士が毎日出仕していた藩庁が置かれていました。



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現在の学校のグラウンド部分には蔵や馬場などがありました。





二ノ丸の前は浜が広がっています。



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本丸の方に目を向けると、



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先ほど歩いた腰曲輪の全貌が明らかに。

浜は、修復中の石垣の石の置き場になっています。工事はまだまだ途中なんですね。





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二ノ丸の石垣沿いの道は「石垣の散歩道」と呼ばれています。





唐津藩士たちが日常歩いていた道だということを感じられる道。

ちょっと振り返ってみましょうか。



20190711-131.jpg、t



やっぱり天守はあった方が箔が着く!

唐津藩の藩士たちは、きっと天守は作りたかったんだろうなぁ~。

徳川幕府の目を気にして天守を作らなかったのではないか、との見方が濃厚なのです。

唐津藩初代藩主の寺沢家はもともと秀吉の家来で外様な訳ですから、怖かったんでしょうね、徳川幕府が。





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武家屋敷の門も残されています。







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二ノ丸をすぎて三ノ丸北側の石垣。

海に面してずーっと石垣が築かれています。







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まっすぐだった道に変化がでるこのポイントには、埋門がありました。

埋門を出て左(南)に行くと唐津神社へ続く 埋門小路。





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右に曲がると浜に抜ける道。



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道の幅も藩政時代のまんまという感じ。

私は、三ノ丸にそってまだ真っ直ぐに進んでいきます。



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城下町っぽい筋交い。



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こんな風に江戸時代の町割りの石垣が現代にそのまま残っているという場所も

珍しいかもですね。



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そろそろ三ノ丸の北西の端が見えてきました。



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本丸の石垣は改修が進んでいますが、二ノ丸、三ノ丸の石垣はかなり荒れてきています。

順々に整備されて、これから先も石垣のある風景な残るといいなぁと思いました。





曲がって、三ノ丸の西端。



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三ノ丸の北西端であるこの場所には西ノ門がありました。



唐津藩は寺沢家、大久保家、松平(大給)家、土井家、水野家、小笠原家と藩主が交代しています。

西ノ門は藩主交代の時、旧藩士たちの出口となりました。



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ちなみに、ここを本丸の方にまっすぐ進んでいくと、三ノ丸とニノ丸の間にあるニノ門。





唐津駅の方向に進もうとすると、石垣が見えません・・・。



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見えませんが、唐津市役所の水道管理課の建物側の裏てに石垣の名残の土塁などがあります。



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唐津市役所まで戻ってくると、三ノ丸の南西端の石垣が再度お目見えです。



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ここをまっすぐ進めば大手口(2019年7月20日の日記⇒唐津 城下町そぞろ歩き その1)です。



唐津の町、ぐるっと踏破!





さてさて、お昼ご飯を食べに行きましょう!



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唐津駅の近くにある檸檬樹さん。



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『唐ワン伽哩(カリー)』を提供していると聞いてやって来ました。





『唐ワン伽哩(カリー)』って、要するにカレーなんですが、佐賀は一世帯あたりのカレールゥ消費量が全国1位なんだそうですよ。

そこで、唐津城のイメージキャラクター「唐ワンくん」が

一 カレーライスの他、麺やパンにするも良し!

二 必ず、一品以上、唐津市の食材を入れるべし!

三 唐津ならではの、店主のこだわりを入れるべし!

の三つの条件を満たしたお店ごとのオリジナルカレーをのご当地グルメ『唐ワン伽哩(カリー)』として、熱烈応援しているものらしいですよ。





檸檬樹さんの『唐ワン伽哩(カリー)』



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食パンの上にカレーが塗ってある品物ではないですよ。

焼きたての食パンの中央がくりぬかれており、あつあつのカレードリアがずっしりと盛り付けられているんですよ。

器事食べられるカレードリア!



炭水化物 in 炭水化物 バンザーイっ!!



いや、マジでこれ、美味しかったですよ。

パンも美味しいし。



唐津に行った際にはぜひご賞味あれ。






今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)

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2019-08-02 (Fri)

唐津 城下町そぞろ歩き その3

唐津 城下町そぞろ歩き その3

ども にぽぽです=*^-^*=やっと、やっと唐津城へ向かいます~!唐津城は、豊臣秀吉の家臣・寺沢広高が慶長7(1602)年から7ヶ年の歳月を費やして完成したと伝えられています。本丸は満糸島の山頂に配され、東側は松浦川を掘としています。城内橋を渡って、唐津城本丸に向かいます。本丸側の城内橋のたもとに舟入門が整備されています。舟入門は、藩主の参勤交代の際の出入りや、御蔵への納入物品の出入りに利用されました。当時...

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ども にぽぽです=*^-^*=





やっと、やっと唐津城へ向かいます~!



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唐津城は、豊臣秀吉の家臣・寺沢広高が慶長7(1602)年から7ヶ年の歳月を費やして完成したと伝えられています。

本丸は満糸島の山頂に配され、東側は松浦川を掘としています。



城内橋を渡って、唐津城本丸に向かいます。



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本丸側の城内橋のたもとに舟入門が整備されています。



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舟入門は、藩主の参勤交代の際の出入りや、御蔵への納入物品の出入りに利用されました。

当時の舟入部分は埋め立てや道路となり確認できないとのことですが、舟入門公園として整備されているおかげで雰囲気はよくわかる!





唐津城への登城口



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お城のふもとに駐車場が整備されたり、住宅地となったりしているので、わぁ~お城だ~♪という雰囲気もない細道になっております。



まずは満糸島の外周に沿って歩いてみます。



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海に接する外周部分も石垣でしっかり囲んで腰曲輪を形成しいくつもの櫓が立ち並んでいました。





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櫓と腰曲輪



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海の際から石垣がそそり立っている感じですね。



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櫓の跡と思われます。



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恐っ!



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腰曲輪をぐるっと歩いていくと、天守へ直行できる有料エレベーターがあります。



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エレベーターが用意されるほど急峻なのか?と日頃運動不足の私、かなり怯んでエレベーターの誘惑に負けそうになりますが、グッと堪えて本道を行こう!





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旗を手にしたガイドさんに導かれエレベーターを目指す御一行がやって来ます。

本道を行く決意がグラグラ揺らぐwww



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なんやかんやで本丸への登り口まで戻ってきました。


坂口門

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本来お寺にありそうな多宝塔が建っています。



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唐津城築城以前は、松浦川や町田川の水害救難の津守として、この辺りには寺社が集まっていたそうです。

この多宝塔は、海仙寺のものと伝えられています。現在は、屋根、石相輪等が失われて塔身のみ残っています。





さあ、登るぞーーー!



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石段は231段。

本丸まで一直線で進入出来る構造は防御面を考えると不利になると思うのですが、

唐津城は本丸にたどり着くまでには、三ノ丸、二ノ丸を囲う堀や門をいくつも通らなければならない連郭式の縄張りをとっているし、片側は唐津湾、守りは盤石という訳です。



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左手には二ノ曲輪を囲う立派な石垣が続いています。



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どうですが、この鋭角な隅石の美。(←変わらぬ石垣フェチぶり)



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たまりませんな~。(←しつこいぐらいに眺めまわす)





さて、石段の先には、堅牢な構えの総締門の虎口がありました。



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総締門の礎石が残っています。



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がっちり守りを固める枡型門の構え。



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231段を登り切ると、天守のそびえるニノ曲輪。



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石垣の修復工事中でした。



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石垣も長い年月で緩んで外側に膨らんできてしまうので、今、あちこちのお城で石垣の修復がなされていますね。

次の世代に引き継ぐための大事な工事だと思います。





ニノ曲輪の井戸。



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こんな高い場所で水を確保するのは大変だと思いますが、水は戦いの重要な備え。





金毘羅様も祀られていました。



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本丸西門への階段。



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修復の終わった天守を支える石垣。



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緩みのない直線。見事な出来栄え。





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西門を潜り、天守閣へ入ります。



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天守閣は昭和41(1966)年に建てられたコンクリート製もの。

2階の唐津の歴史フロアや、3階の唐津焼フロアを見学しながら5階の展望フロアまで登れます。





歩いてきた三ノ丸の方向。



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足元は早稲田大学系属 早稲田佐賀中学校・高等学校。



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ここがまるっと、藩主が住んでいたニノ丸に当たります。





日本三大松原のひとつ、虹の松原方面。



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もともとの自然林から防風林、防砂林として唐津藩の藩主である寺沢広高が植樹を行ったもの。

藩主の改易や移封により主家が変わっても手厚く管理されたので、現代にも美しい景勝地として残っているんですね。





唐津城の謎、南蛮大砲です。



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大阪の陣があった17世紀前半のものだそうで、昔から唐津城の天守台にあったそうです。

なぜこの大砲が唐津城に存在するのかは謎なのですが、近年、大砲の刻印が「ドラゴンの紋章」と判明し、イギリスで製造されたことが解りました。初代唐津藩主・寺沢広高の時代に輸入された大砲である可能性が考えられるそうです。





日本のお城の天守にイギリス製の大砲が置かれた経緯、いつか謎が解けるといいなぁと思います。





これで終わりかと思いきや、なんとまだ続くのでした~(汗っ)








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No Subject * by hisami
お城はおいそれと~天守閣には
近づかせてくれない構造
エレベーターの誘惑によく打ち勝つ事が出来ましたね(笑)
今の酷暑の中なら間違いなく
エレベーターに乗ってたでしょうね(笑笑)

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No Subject * by にぽぽ
鍵コメくださった方、ありがとうございました!こっそり直しました!

2019-07-29 (Mon)

唐津 城下町そぞろ歩き その2

唐津 城下町そぞろ歩き その2

ども にぽぽです=*^-^*=大手口西から北に向かって歩きます。するとそこには唐津神社。狛犬さんの首の注連縄におみくじがいっぱい結ばれていました。唐津神社は天平勝宝7(755)年に建立されました。一ノ宮とニノ宮があり、一ノ宮の御祭神は 表筒男命(うわつつおのみこと)、中筒男命(なかつつおのみこと)、底筒男命(そこつつおのみこと)の住吉三神(すみよしさんじん)。海上安全と禍事清祓(まがごときよはらい)の御神徳。二...

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ども にぽぽです=*^-^*=





大手口西から北に向かって歩きます。



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するとそこには唐津神社。



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狛犬さんの首の注連縄におみくじがいっぱい結ばれていました。



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唐津神社は天平勝宝7(755)年に建立されました。

一ノ宮とニノ宮があり、一ノ宮の御祭神は 表筒男命(うわつつおのみこと)、中筒男命(なかつつおのみこと)、底筒男命(そこつつおのみこと)の住吉三神(すみよしさんじん)。海上安全と禍事清祓(まがごときよはらい)の御神徳。
二ノ宮の御祭神は唐津の総氏神として、神田宗次公(こうだむねつぐこう)。
相殿神として、水波能女神(みずはのめのかみ)、 火伏の御神徳。


水と火を 御する神社ということですね。


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唐津神社の秋季例大祭が、ユネスコ無形文化遺産にも登録された、「唐津くんち」。



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一番曳山の赤獅子を先頭に14台の曳山が唐津城下を巡行するお祭りです。



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唐津神社の縁起にあわせて旧暦9月29日を中心にお祭りがおこなわれていたことが「くんち」の由来らしいです。

曳山は、高さ7m前後あり、大迫力です。

唐津神社に隣接する曳山展示場で曳山と唐津くんちのビデオを見てお祭りの雰囲気を堪能しましたが、いつかライブで見てみたいです。





神社の向井は大志小学校で、ことも達がプールに入っていたようで、子どもたちのはしゃいだ声と先生の注意する声が絶えまなく聞こえてきました。



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大志小学校の向かい、要するに唐津神社の裏側には、江戸時代に唐津藩の藩校がありました。



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この門は享和元年(1801)年に建造されたもので、廃藩後は小学校、監獄所、寺院の門として引き継がれ、その後市に寄贈されて現在に至っています。





唐津神社の正面まで戻り、東に向かっている路地を歩いていこうと思います。



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道に面して垣根になっていたり、敷地がゆったりとしている風情が、なんとなく武家屋敷っぽいと思いながら歩いていますと・・・



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屋根の間に天守がチラチラ。



テンションが上がり、思わず「殿ーーーっ」と、勘違いな忠誠心が湧きあがりそうになりますwww

でも、唐津城に天守は無かったということなので、江戸時代にいた本当の藩士たちは、この辺りから天守を仰ぎ見ることはなかったはずです。



果たしてこの路地は、



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明神横小路といい、江戸時代は、唐津藩の家老などが住んでいた辺りかと思われます。

まさに、藩士たちが歩いていた道なのでした。



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T字路のところがポケットパークになっていて、道の説明が書いてありました。



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明神横小路に突き当たっているのは大手小路。



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ここを真っ直ぐ行くと、大手口です。

なるほど、だんだんと城下のつくりが解ってきましたぞ。





明神横小路の突き当り。



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突き当りのT字路を左に曲がる。



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櫓っぽいものが見えてきます。



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時計台です。



     20190711-75.jpg



江戸時代は、この辺りに時の太鼓があり、城内に時を告げていました。

現在は児童公園に整備され、唐津藩絵図に基づいて櫓が再現されていますが、実はからくり時計になっていて、時がくれば中から、武士人形がせり出して、大太鼓を打ち鳴らすらしい。

見物する人もいないであろうに時間の度に太鼓を打つのか・・・切ないじゃないか。

いや、それが武士の務めなのかもしれないけどww。





時の太鼓の前の交差点はニノ門交差点。



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三ノ丸とニノ丸の間はニノ門堀がで切られていて、二ノ丸に入る門があったところです。



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藩士たちは、この橋を渡り登城していたのです、いよいよ私も登城ーーーーー・・・



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の前に、右に曲がる。





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本丸の対岸に向かって、千代田橋を渡ります。





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二ノ丸の南端の石垣をワイドに見ることができます。

足元にカニを発見。



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しばし眺めて、昨日食べたガニ漬け(2019年7月16日の日記⇒佐賀 お酒がすすむガリゴリの郷土料理 )を思いだしてしまった・・・。





本丸の天守を正面にとらえる撮影ポイント。



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江戸時代には天守は無かった(しつこい)訳ですが、やっぱり絵にはなりますなぁ~。

木製っぽく姿のよい橋は、城内橋。
この橋を渡って、次回はいよいよ唐津城登城!







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No Subject * by イノぶた
狛犬におみくじのレイって見たことなかった( ゚Д゚)
にぽちゃんは時計台のからくり見なかったのね 笑)
ちょっと気になる・・・ ^^
やっぱりお城には天守閣!あったほうが絵になるだろうけど 無いもの作っちゃ~駄目よね 笑)


No Subject * by hisami
成程~~~登城までの道中が
なんだかブラタモリを見てるような流れ
ブラタモってますねぇ~
かなり楽しいわ♪

2019-07-20 (Sat)

唐津 城下町そぞろ歩き その1

唐津 城下町そぞろ歩き その1

ども にぽぽです=*^-^*=縄文時代を満喫して、再びJR唐津駅の辺りに戻ってきました。唐津城は、豊臣秀吉の家臣・寺沢志摩守広高が慶長7(1602)年から7ヶ年の歳月を費やして完成したと伝えられています。唐津の街は、唐津城の縄張りや昔の町名がそのまま残っていて、江戸時代の面影を感じることができます。では、唐津の城下町そぞろ歩きスタート!JR唐津駅の辺りは町田口といって唐津城下の南の入り口の門があり、番所が置かれて...

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ども にぽぽです=*^-^*=





縄文時代を満喫して、再びJR唐津駅の辺りに戻ってきました。



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唐津城は、豊臣秀吉の家臣・寺沢志摩守広高が慶長7(1602)年から7ヶ年の歳月を費やして完成したと伝えられています。

唐津の街は、唐津城の縄張りや昔の町名がそのまま残っていて、江戸時代の面影を感じることができます。



唐津城の縄張り





では、唐津の城下町そぞろ歩きスタート!



JR唐津駅の辺りは町田口といって唐津城下の南の入り口の門があり、番所が置かれていました。



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ここから東へ。

お城の方向に歩いていきます。



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町田川に架かる橋の手前に交番。



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この辺りは札ノ辻といって、唐津城下の東の入り口の門があったところです。



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唐津城下の南東隅の石垣が残っています。



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町田川には低い太鼓橋上の橋がかかり、橋を渡ると南向きの門が建っていたらしいです。



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門をくぐると番所があり、南側には町奉行所がありました。



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この先は木綿町、呉服町、京町まどの町人地へつながっていました。



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札ノ辻から見える風情のある橋は、千鳥橋。



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昔の札の辻橋もこんな感じだったのかも。







千鳥橋より河口側にかかっている橋からの風景。



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橋の袂には、唐津城三ノ丸の辰巳櫓が建っています。



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この辺りが、外曲輪と城内である三ノ丸の境目となります。



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三ノ丸には、唐津藩士のほとんどが住んでいました。







旧唐津銀行。



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唐津銀行は明治18年に設立し、翌年に開業しました。

この建物は明治43年8月に着工し、明治45年3月に竣工しました。

設計者は東京駅と同じ、辰野金吾さん。



銀行としての営業は平成9年まで続いていたそうです。すごいっ。

現在は唐津市に寄贈され「辰野金吾記念館」として一般公開されています。


佐賀県道347号線の大手口交差点

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唐津城の大手門があったことが大手口の名の由来です。
この辺りの佐賀県道347号線は唐津城の肥後堀に沿って開通しました。

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道のうねりが堀であった名残を感じさせます。
肥後堀は昭和に入る頃に民間払い下げのうえ全て埋め立てられてしまいました。


大手口西の交差点

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三ノ丸の南端にあたる石垣と、埋め立てられてしまった肥後掘りが復元されています。

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唐津城下そぞろ歩きはまだまだま~だ続きます。






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No Subject * by イノぶた
にぽちゃん
歴史を知って歩くと重みが違うわよね
うちの旦那も よくそう言いますが
私は だいたいの知識で歩くので
見逃しポイントいっぱいなのよね 笑)

まだ ちょこちょこ城跡が残ってるんだね
見つけるとちょっとうれしいわね ^^


2019-07-18 (Thu)

唐津 日本最古の水田跡 菜畑遺跡

唐津 日本最古の水田跡 菜畑遺跡

ども にぽぽです=*^-^*=本日の日記は長いので、写真はサムネールにしてあります。大きい写真を見たい方はダブルクリックしてみてください。佐賀の旅 二日目の朝です。佐賀から約50km、唐津に到着しています。朝6時にホテルを出発して車で約1時間半走ってやってきましたよ~。朝っぱらから唐津までやってきたのは、8時に朝食を予約してるからです!駅近くの京町へ。商店街のほとんどのお店は当然OPEN前ですが、お豆腐...

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ども にぽぽです=*^-^*=
本日の日記は長いので、写真はサムネールにしてあります。大きい写真を見たい方はダブルクリックしてみてください。


佐賀の旅 二日目の朝です。

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佐賀から約50km、唐津に到着しています。
朝6時にホテルを出発して車で約1時間半走ってやってきましたよ~。

朝っぱらから唐津までやってきたのは、8時に朝食を予約してるからです!


駅近くの京町へ。

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商店街のほとんどのお店は当然OPEN前ですが、お豆腐屋さんは朝早くから営業。

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お客さんがお豆腐を買いにきていましたが、このお豆腐屋さんは、寛政年間創業の川島豆腐店(⇒HP) さんです。
ざる豆腐発祥のお店ということで、出来立てのざる豆腐をいただけるお店なんですって。


店舗横の扉を入ります。

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中に、10席ほどのセンスのいいスペースがあります。
素敵~♪

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サインを見つけましたよ。

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色紙ではなく、壁に書いてもらっているのもオシャレ~。



お食事は、カウンターからそっと差し出されました。

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ゴマ豆腐、豆乳、おから。豆乳が美味しいこと!

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大きなザルいっぱいに入れられたお豆腐から、取り分けて出されるお豆腐。
湯気がほわほわして、あったかいです。お塩で頂きます。

次に出てきたのは厚揚げ。

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揚げたてで熱々。お醤油がお勧めということなので、お醤油をかけて・・・

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外側がカリカリ。美味いっ!

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ざる豆腐と厚揚げはお代わりいただけますよ。

身体にやさしい~味でヘルシーなものばかりですが、結構お腹がいっぱいになってきたところで、御椀ものとご飯。

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御椀はもちろんお豆腐のお味噌汁。
もち麦のお粥だ♪とわさびを溶いていざお箸を入れようと思ったら、

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あ!お豆腐っ!
うずみ豆腐というお料理です。

お腹もいっぱいで、大満足~と思っているところにデザートが出てきました。

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お豆腐です!お豆腐なんですが、甘いお豆腐のプリンなんです!!
カラメルが黒蜜で、美味しいのなんの。3個ぐらい食べたい・・・(爆)。

こういう美しい朝ご飯を食べると、ちゃんと正しく生きていこうっていう気持ちになり、普段のいい加減な食事を反省。
旅行を終えたら、食生活を正そうと決意。
ん?なんか・・・何度も同じような決意をしているような気がする。


では、お腹もいっぱいになったので、唐津でも遺跡に行きますよ~!



唐津駅から西に8kmばかり行きますと、菜畑遺跡はあります。

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唐津湾のすぐ近く、平野部と緩やかな丘陵斜面の際に立地しています。

菜畑遺跡
(地図はGoogle Earth を利用したもの)

菜畑遺跡は縄文時代晩期後半(約2.500~2.600年前)の遺跡で、水田や稲作に使われた木製の農具が出土したことで、弥生時代よりも早い時期に大陸から稲作が伝わり、日本で稲作が行われていたことが実証された場所なのです。


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山の幸では、マタタビ・ヤマイモ・イチゴ・クコなどの種子が出土していて、この他にもユリ根・ムクノキ・ヤマモモ・シイ・カシ・ワラビ・ゼンマイ・ヤマビワ・カキ・オニグルミ・ヨモギ・ノブドウ・セリ・クリなどの球根や種子を食べていました。
アマチャズルも食べていたようなので、もしかしたら砂糖の変わりのような使い方もしていたのかもしれませんよね。

海の幸は、イルカやジュゴン、クジラなどの海獣類をはじめ、サメ・エイ・イワシ・マグロ・サバ・アジ・ブリ・スズキ・タイ・ハゼ・ゴチなど。

どこの縄文遺跡に行っても思うけど、私が持っていた縄文時代のイメージより豊かな食生活。


畑も作られていて、アワ・オオムギ・ソバの雑穀と、アズキ・リョクトウマメの豆類栽培の他、ゴボウ・ナスビ・メロン(!!)・マクワウリ・ヒョウタン・シソ・ゴマ・キュウリがあり、現在の農家で栽培されるほどんどの品種が出そろっています。
もちろん品種改良されていない原種でしょうから、甘さや柔らかさは今と全然違うということを理解したとしても、2.600年も前だなんて思えない!



復元されている水田を見に行きましょう!

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さほど広くはないスペースに、竪穴式住所が一棟復元されています。

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遊歩道に沿って歩いていくと・・・

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すぐに水田があります。

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今でも、古代米等のお米を植えて育てているようで、この時期水田と周りの草との境目が解りにくいっ!

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田んぼ一枚の長さは、大人の歩幅で4~5歩程度の小さいものです。

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水田跡は畦畔や矢板列によって区画されています。
縄文後期から弥生中期までの水田跡が発見されたので、水田の変遷も明らかになったそうです。

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写真右に写っているのが杭と矢板。左に写っているのは、縄文後期の鍬。日本最古のものです。


杵と鍬、柄振り。

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当然、現代のものではなく、縄文後期の農具です。


石鎌

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お米の収穫に使ったんでしょうね、きっと。


炭化したお米が発見されました。

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縄文時代に栽培されていたのは、現代と同じジャポニカ米。


これは、お米を焚くのに使われていた土器。

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縄文時代の炊飯器といったところですね~。


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お米が食べられるようになると、お茶碗など一人ずつの器が使われるようになったようです。


これは日本最古の石包丁

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菜畑遺跡は日本最古のオンパレード!



水田は丘陵部の際の谷に沿って作られていたことが解ります。

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高台の丘陵部に居住域の村が設けられていたんですね

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菜畑遺跡では、村と水田に至る中間地帯で祭りが行われていたことが解っています。

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祭壇が設けられ、当時飼育されていたブタの頭骨を飾り、彩色した高杯土器や穀物などを供えて、豊作を祈ったものと考えられています。
ブタは下顎に棒を通して飾っていたようです。

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こんな感じ。

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長野県の諏訪大社では、シカの頭を始め鳥獣魚類等が供え られる御頭祭がありますが、それを彷彿とさせるような行事です。
諏訪も縄文大国であるので、御頭祭の起源は縄文時代にあるのかもしれないですね、いつか調べてみよう。


これも、祭り関係のものかな?

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「男根状石製品」としか書かれていない縄文晩期のもの。
この手の出土品には全然説明書きがないんですよね。照れなんですかね、やっぱり。
青森や長野で見た石棒よりかなり小さくなっていますが、やはり繁殖への祈りは脈々と受け継がれているのだろうなと、勝手に理解してみました。


祭りの説明書きに「飼育されていたブタ」とサラっと書かれていました。
ブタとは、野生種のイノシシを時間をかけて家畜化したものです。日本にはイノシシがたくさん生息していましたが、家畜化される途中の形態もをったイノシシの骨は出土しておらず、最近のDNA分析の結果から、弥生時代の遺跡から出土したイノシシ類の中に中国大陸系統の遺伝子をもつものがいることがわかったそうです。このことから、日本のブタはすでに家畜化されたものが中国大陸から持ち込まれたと考えられています。
日本でブタの骨が出土する遺跡はとても少ないことから、全ての地域でブタが飼育されていた訳ではないようです。
菜畑遺跡は、めずらしくブタが飼育されていた遺跡でもあるということですね。

また、ウシやウマに先立ててブタだけが伝わったこと。
イノシシが多くいる日本なのに食料としてのブタを飼育する必要があったのか?などなど、謎が多いブタなのであります。



おまけとして、稲作の伝播ルート(都市の場所やルートはあくまでもイメージで正確なものではありません)。

稲作の伝播
(地図はGoogle Earth を利用したもの)


今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)


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No Subject * by イノぶた
にぽちゃん
こんにちわ!!!
青森だと思ってたら 佐賀!
飛ぶわねぇ~ 笑)
それにとてもいい朝ご飯 
私も食べてみたいわ! メモメモ✐
みごとに豆腐づくしで!! ^^

豚話が面白い 笑)


No Subject * by hisami
5月の後半に青森を5日間旅してたのねぇ
で、にぽちゃんも同じような頃旅してる記事見て
かなり嬉しかったわ(笑)
で、今回は佐賀に縄文旅なんですね
お豆腐~かなり魅力的☆☆☆