にぽぽのお散歩日記

お散歩中の景色、美味しいもの、お気に入りのものを気のむくままに綴っています。

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2019-07-14 (Sun)

佐賀 縄文のタイムカプセル東名遺跡

佐賀 縄文のタイムカプセル東名遺跡

ども にぽぽです=*^-^*=本日の日記は長いので、写真はサムネールにしてあります。大きい写真を見たい方はダブルクリックしてみてください。田んぼです。四方ぐるりが田んぼと畑です。そして、雨です、、、。私、佐賀県は佐賀市の北に位置する、「東名(ひがしみょう)遺跡」にやってきております。東名遺跡は、縄文時代早期(約8.000年前年前)の遺跡です。(地図はGoogle Earth を利用したもの)東名遺跡は現在の海岸線から12km...

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ども にぽぽです=*^-^*=
本日の日記は長いので、写真はサムネールにしてあります。大きい写真を見たい方はダブルクリックしてみてください。


田んぼです。

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四方ぐるりが田んぼと畑です。

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そして、雨です、、、。


私、佐賀県は佐賀市の北に位置する、「東名(ひがしみょう)遺跡」にやってきております。

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東名遺跡は、縄文時代早期(約8.000年前年前)の遺跡です。

東名遺跡海岸線
(地図はGoogle Earth を利用したもの)

東名遺跡は現在の海岸線から12km程度の距離にありますが、現在よりも温暖であった縄文時代の海岸線は遺跡付近にあったようです。
当時の海岸線を、イメージで青いラインを入れてみました。

縄文人たちは、海の幸を求めて約8.000年前にこの地に住み着きました。
当時の環境は大きな河口を臨む丘陵地の端に位置しており、カシやシイの木などの照葉樹林が生い茂り、河口付近にはイネ科、ヨモギ科、カヤツリグサ科などの草が生育し、干満の影響が強い干潟であったと考えられています。


縄文人たちは丘の上に居住し、その落ち際に点々と6つの貝塚を形成しました。

東名遺跡貝塚分布図
(地図はGoogle Earth を利用したもの)

ところが、その後も温暖化が進み、海面が上昇していったため人が住むことができなくなったようです。

河川の運ぶ土砂と満潮の巻き上げる細かい土が一気に堆積していき、約7.000年前ごろには、縄文人の生活の痕跡は粘土層の下に埋没してしまいました。


地下深くに眠っていた縄文人たちの痕跡が発見されたのは、洪水対策用の調整池建設に伴う調査によってです。
現地表面下1~2mを調査した結果、167ヶ所の炉跡や墓地、土器や石器が発見され、縄文遺跡の少ない佐賀において貴重な資料となったのですが、調査を終えて重機による掘削工事中に6ヶ所の貝塚が発見され、急遽調査を再開することとなり、現地表面5~7mの深さに埋没していた貝塚を初め、日本最古級の遺物が大量に出土したのでした。

重機が削ったのが、ちょうど貝塚の上部だったという奇跡!
ガバーーーーっと掘ってしまっていたら、東名遺跡は気づかれずに破壊されてしまっていたかもしれないんですねぇ。


では、東名縄文館で出土品を堪能したいと思います!
入場は無料!

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貝のアクセサリー

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800点以上出土。
近くの有明海では採れない貝種も多く、玄界灘や南西諸島から持ち込まれたようです。
広域な交流があったと考えられています。


骨角製のアクセサリー

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300点以上出土。
猪の牙のペンダント、エイやサメ椎骨のピアス、鹿角製のヘアピン。

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特に点描画のような細工の装飾品は、美しすぎました!
縄文早期にこんな技術があったとはビックリです。


木製の立櫛

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土器

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縄文土器って朱っぽい茶色のイメージがありましたが、ここの土器はグレーがかった茶。
唐津の焼き物のようじゃありません?
焼き物の色はその土地の土の色に影響されるんだなーと、思った瞬間でした。

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さらにここの土器の文様は縄目ではなく、貝を押し付けたり、引っかいたりして作ったものなんですって。


石器類

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人骨も見つかっています。

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8人分の骨が10mほどの円内にまとまって発見されました。

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3体同時に埋葬された人骨も見つかっています。これはレプリカですけど。
死んだ人を埋める場所は決まっていたようです。



ここに来た一番のお目当てはこれ!

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ガラス越しの撮影なのでわかりにくいんですが、、、
編みかごです。

東名遺跡では731点の編みかごが発見されました。
黒くて丸い粒は、いっしょに発見されたどんぐりです。


水が湧くような低い場所に穴を掘り、どんぐりを入れたかごを入れて貯蔵していたのだそうです。
どんぐりを水に漬けることで、虫を殺したり灰汁を抜くことができるという一石二鳥の知恵。
縄文人、スゴイ!

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かごは高さ50cmのものから1mほどの大きなものまで、様々。

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大型のかごが復元されていました。
大型のかごの材料はムクロジやイヌビワなどの木の皮、小型のかごの材料はツヅラフジやテイカカヅラなどのツル植物だそうです。


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東名遺跡で確認された編組技法は様々なものがあり、現代に見られるほとんどの技法が縄文時代早期の段階で成立していたそうですよ。


通常の遺跡には残っていないようなものが東名遺跡で状態よく残ったのは、厚い粘土層で覆われて外気と遮断されたことと、水気の多い湿地にあったためにツルや木で作った植物性遺物ものが残ったこと。

そしてこれ!

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貝塚があったため。
貝殻のカルシウム分で土が中和されて動物の骨などの動物性遺物が残ったこと。
3つの条件が揃った、まさに奇跡のタイプカプセルなんですね~。


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東名遺跡に暮らした縄文人が食べていたものは、河口や干潟に住むヤマトシジミ、アゲマキ、ハイガイ。
木の実は、ドングリをはじめとして、クヌギ、ナラガシワ、イチガシの他にオニグルミやカヤ。
魚はスズキ、ボラ、クロダイなど比較的大きな魚、その他にエイ、サメ類やスッポン!
動物は圧倒的に鹿とイノシシが多く、その他、ノウサギ、タヌキ、ニホンザル、アナグマなども食べていたようです。

貝塚の上の方にある牡蠣の貝殻なんて大人の手より大きいです!
ちょーーーーーグルメ!


こんなすごい遺跡なのにあまり人は来ないようで、縄文館にいた係のおじさまは、私が東京から来たと言ったら、
「東京からわざわざ?ヘェェッ!なんでここを知ったんですか?」
と、ものすごく驚いていました。


縄文文化は東日本以北に残るもので、西日本にはほとんど無いと思っていた私。
日本最古級の縄文遺跡が佐賀にあるなんて、知らなかった。

青森の三内丸山遺跡に劣らずスゴイ遺跡なのに、存在が地味すぎるっ!!!
もっとアピールすればいいのに、もったいないっ!

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貝塚も保存のために埋め戻されてるから、調整池と野原しかない・・・。
変態級の歴史オタクの私には、野原でもじゅーーぶん浪漫を感じられたけど(笑)。


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2019-06-30 (Sun)

青森 三内丸山遺跡で感じる縄文時代の息吹!agein!!

青森 三内丸山遺跡で感じる縄文時代の息吹!agein!!

ども にぽぽです=*^-^*=本日の日記は長いので、写真はサムネールにしてあります。大きい写真を見たい方はダブルクリックしてみてください。青森の二日目は、善知鳥神社の他にもいろいろと行ったのですが、今回の青森の目的はじょーーーーうもーーーーーーーん!!(縄文!)2015年以来、まだ冷めやらぬ縄文の熱。さらにブログを休止した2016年には、縄文時代から現代への旅をもくろんでいたので、それを実行しようと、三日目は三...

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ども にぽぽです=*^-^*=
本日の日記は長いので、写真はサムネールにしてあります。大きい写真を見たい方はダブルクリックしてみてください。

青森の二日目は、善知鳥神社の他にもいろいろと行ったのですが、今回の青森の目的は
じょーーーーうもーーーーーーーん!!(縄文!)

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2015年以来、まだ冷めやらぬ縄文の熱。
さらにブログを休止した2016年には、縄文時代から現代への旅をもくろんでいたので、それを実行しようと、三日目は三内丸山遺跡(2015年11月15日の日記⇒青森 三内丸山遺跡で感じる縄文時代の息吹!その1 )を訪れたのでした。


三内丸山遺跡は、縄文時代前期から中期にかけて(約5.500~4.000年前)の集落跡です。

青森海岸線
(地図はGoogle Earth を利用したもの)

現在の海岸線から4km程度の距離にありますが、縄文時代は現在よりも海が内陸に入っていたので、海から2kmぐらいの距離にあったと思われます。当時の海岸線を、だいたいのイメージで青いラインを入れてみました。


遺跡の詳細は、2015年に訪れたときの記事(2015年11月22日の日記⇒青森 三内丸山遺跡で感じる縄文時代の息吹!その2 )を参照いただくとして、今回は新たに気づいたところを補足しておこうと思います。



遺跡への誘導路にもなっている、縄文時代の道を進んで行きます。

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その進行方向の、こんもりと木が生えている先に川があります。

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右手側に向きますと・・・

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この方向2km先に海がありました。

三内丸山は、川と海、そして背後に山という恵まれた立地にあります。


集落を訪れる人は、海の方向からやって来たそうです。

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海から続いている道側から見た集落の景色はこんな感じ。



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道の両側には、2列に大人の墓が作られていました。

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ちょうど草刈りをしたばっかりだったので、ちょっとわかりにくい・・・。
ピンク色で○印をつけてみました。


土坑墓といいます。

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穴を掘った中に、手足を曲げた形で埋葬されました。

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鏃や生活に使った石器などもいっしょに入れられていたそうです。


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集落に入ってくるメインストリートの両脇に死者を埋葬するのは、集落を守ってもらうという意味があったのだろうということでした。



一方、子どもの墓は住居の近くに作られています。

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しろっぽい四角は、平安時代の遺跡がかさなっているところ。
縄文時代の終わりとともに、三内丸山から人が消えたのですが、平安時代になって再び人が生活するようになったそうですよ。


子どもの墓の話だった!
子どもは亡くなると、丸い穴を開けたり、口や底を打ち欠いた土器の中に入れられ、住居の近くに埋葬されました。

子どもの埋葬に使われた土器です。

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土器の中から握り拳大の丸い石が出土しています。
丸い形は魂を表していて、もう一度生まれてきてという願いが込められているのではないかと考える研究者もいるそうです。

生まれてきても亡くなる赤ちゃんが圧倒的に多かった時代ですが、死に対して鈍感な訳ではなく、悲しみの深さは現代人と同じかそれ以上だったのだろうなと思うと切ない・・・・。


以前来た時に、中に入ってみた竪穴式住居。

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今回は立ち入り禁止になっていて、代わりに別の住居が入れるようになっていました。


住居での暮らしはこんな感じだったようです。

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住居の一番奥には、石棒が祀られていました。

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尖石考古学館に展示されていたもの(2016年01月03日の日記⇒信仰の起源 )は、生々しくお●んち●だったけど、時代や地域によって形や大きさはさまざまらしい。



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縄文時代中期ぐらいまでは今より温暖な気候だったのですが、晩期になると寒冷化して寒くなりました。
小さな住居は雪で埋まってしまい暮らせなかったため、大型の住居に集団で暮らしていたのではないかと考える研修者いるそうです。

それがこの大型掘立柱建物。

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ある実験では、この中に300人入れることが実証されたとか。
ぎゅうぎゅうだろうけど、寒い冬を生き抜くことだけを考えているので、プライバシーとかそんな次元じゃないし。

柱は栗の木。
表面を焼いて腐りにくくする加工は、縄文時代には確率された技術だったそうです。


この大柱の建造物も、栗の木。

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6本の柱の跡が見つかっただけなので、柱は独立して建っていた可能性もある訳で、どういう建造物だったのか想像でしかないのですが、6本ばらばらだったら倒れやすいので、横柱などで互いに固定していたのではいかなと、私は思います。

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見張り台という説もありますが、縄文時代には他の集落との戦いはなかったようですし、やっぱり祭りに使われた建物なんじゃないのかな~と。

いやいや、とにかく大迫力!



ダジャレまくりの「縄文人もびっくり 栗ソフト栗夢」は健在でした。

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次の旅は弥生時代だ、オーーーッ(。>v<。)ノ゙*。


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No Subject * by イノぶた
人を埋葬するって おこちゃまを土器に入れて埋葬 棺桶だわね・・・思いは今も昔も変わらない 「愛」を感じるね

栗ソフト栗夢 笑)
私は見つけられなかったわ 次回は私も頂きましょう! ^^


2019-06-23 (Sun)

青森 善知鳥神社へ参拝

青森 善知鳥神社へ参拝

ども にぽぽです=*^-^*=青森二日目。令和になって、雨女返上かと思うような快晴であります。まずやって来たのは、善知鳥(うとう)神社。青森は昔「善知鳥村」と呼ばれていました。海岸付近に松が繁茂する小丘があり、「青森」と呼ばれて漁船が帰る時の目標物になっていたことから、江戸時代の初めに津軽藩が港を開いた時に「青森村」と改称。善知鳥神社は奥州陸奥之国外ヶ浜総鎮守で、青森発祥の地として長い間信仰されているそ...

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ども にぽぽです=*^-^*=


青森二日目。
令和になって、雨女返上かと思うような快晴であります。

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まずやって来たのは、善知鳥(うとう)神社。

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青森は昔「善知鳥村」と呼ばれていました。
海岸付近に松が繁茂する小丘があり、「青森」と呼ばれて漁船が帰る時の目標物になっていたことから、江戸時代の初めに津軽藩が港を開いた時に「青森村」と改称。

善知鳥神社は奥州陸奥之国外ヶ浜総鎮守で、青森発祥の地として長い間信仰されているそうですよ。


訪れたのは6月13日。
茅の輪が設えてありました!

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夏越しの大祓(2010年6月28日の日記⇒飯田橋 東京大神宮 夏越しの祓え)の時期ですもんね。
青森で穢れを払うことになるとは、なかなかオツですな・・・ってことで、しっかり茅の輪を8の字にくぐってきました。


善知鳥神社の御祭神は、多岐津姫命(たびりびめのみこと)・市杵島姫命(いつきしまひめのみこと)・多紀理姫命(たぎつひめのみこと)の宗像三女神。あらゆる「道」の最高神として、航海の安全や交通安全などを祈願する神様です。

第19第允恭天皇(いんぎょうてんのう)の御世に中納言安方が、夷人山海の悪鬼を誅罰平定して此の地を治め、その神願霊現あらたかな神々を祭ったと由緒書きにありました。

允恭天皇は、5世紀ごろの天皇と言われています。
その頃に、大和朝廷側から見れば「悪鬼」である先住勢力を大和朝礼が征服したということなのかもしれませんね。
その後、荒廃していたらしく、大同2年(807)に坂上田村麻呂が東夷東征の際に再建したというので、5世紀から7世紀は大和朝廷と先住勢力の長い戦いがあった時代なのかも。



倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を祭る稲荷神社。

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倉稲魂命は『日本書紀』では、イザナギとイザナミが飢えて気力がないときに産まれたとされています。
飢えた時に食を要することから、穀物の神が生じたと考えられているそうです。

古くから安方町内にあった稲荷神社で、明治40年に善知鳥神社境内に移転奉納されました。
農業の神、漁業の神として知られる稲荷神社ですが、食料が不足した厳しい江戸時代の頃を思えば、飢えから守ってもらいたいという祈りが大きかったかもしれません。



稲荷神社の隣に猿田彦神、月夜見命(つきよみのみこと)の碑を祭る無名社。

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猿田彦命と月夜見命がいっしょに祭られているのって、あまり見たことがないです。
月夜見命は天照大御神(あまてらすおおみかみ)と建速須佐之男命(すさのおのみこと)と兄弟の割には神話の中にあまり登場しない謎の神様ですが、夜や海を支配する神様。
猿田彦命は道案内の神様なので、この二神で、航海の安全を祈願したものなのかも。

月夜見命は、黄泉の国を支配する神でもあるので、亡くなった方を黄泉の国に案内するという一面もあるかも・・・と思うのはうがった見方かもしれません。



海津美神(わたつみのかみ)を祭る龍神宮。

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安政9年6月に安方・蜆貝両町の漁師により、安方町有地に漁事繁栄祈願のため建立された龍神宮。
こちらも稲荷神社と同様、明治40年に善知鳥神社境内に移転奉納されました。



龍神宮の裏にある沼、うとう沼です。

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この辺りは昔は安潟といわれ、周囲20~24Kmもある大きな湖沼がありました。この潟に入る舟はどんな暴風雨でも絶対に安全であった為、善知鳥神社と共に漁師に敬われそうですが、安潟に注ぐ川の流れを変えたたことから次第に安潟は干上がり、干拓されていきました。

善知鳥神社
© OpenStreetMap contributors

現在の地図では安潟があったことなど想像もできませんが、うとう沼はその安潟の名残と言われています。
善知鳥神社がある「安方」という地名も安潟からきているのではないのかな?



一の鳥居の側に「奥州街道終点の碑」が建っていました。

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奥州街道は江戸時代五街道の一つで、東京の日本橋を起点として終点はさまざまな説がありますが、江戸時代初期に著された「幕府撰慶長日本図」によると、当時津軽藩の出張機関が置かれていた青森市安方地域が終点になっているそうです。

街道の終わりが、道の神がまつられている善知鳥神社というのは、良いめぐり合わせではないですか。
旅の始まりが道の神というのも、なんだか幸先がいいぞ~と、次の目的地に向かう私なのでした。


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2019-06-12 (Wed)

青森 夏のホタテ

青森 夏のホタテ

ども にぽぽです=*^-^*=たまりにたまっている有給と、5日間付与される夏季休暇を消化しなければならず、まずは6月に夏季休暇第一弾取得。東京駅20番ホーム。乗り込むのは、はやぶさ25号。さ~て、どこに行こうかな~と悩んだのですが、なんせ梅雨の真っ只中。雨の確率の少なそうな北へ向かうことにいたしました。午前中はお仕事をしていたので、新幹線の中で遅いお昼。目的地についたら、ほどなく晩御飯になってしまうので、...

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ども にぽぽです=*^-^*=


たまりにたまっている有給と、5日間付与される夏季休暇を消化しなければならず、
まずは6月に夏季休暇第一弾取得。


東京駅20番ホーム。

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乗り込むのは、はやぶさ25号。

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さ~て、どこに行こうかな~と悩んだのですが、なんせ梅雨の真っ只中。
雨の確率の少なそうな北へ向かうことにいたしました。


午前中はお仕事をしていたので、新幹線の中で遅いお昼。

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目的地についたら、ほどなく晩御飯になってしまうので、軽めにしようと思ったのに・・・
結構なボリューム。
カツサンドが間違いだったかなぁ~。江戸甘味噌っていう文字に負けちゃったんだよなぁ~。
そうじゃなくて、カツサンドだけでよかったのか。

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新幹線でお酒を飲むことは、あんまり無いんだけど、なんか、浮かれて買ってしまった。
やっぱりエビスビールは美味いわ~。


文庫本を読みながら、寝落ちして約3時間後。

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目的地、青森に到着~♪
3年半ぶり(2015年11月01日の日記⇒青森 しゃこちゃんの故郷 亀ヶ岡遺跡 )の青森。



新幹線から在来線へ乗り換える通路にあった販売機。

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リンゴジュースだけ!さすが!!


さてさて、ホテルにチェックインして荷物を置いて、ちょっと早めだけど晩御飯。

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二度目の帆立小屋(2015年11月27日の日記⇒青森 ホタテの美味さにグラリと酔って )

お昼が遅かったから、そんなにお腹もすいてないなぁ~なんて思っていたのに、
メニューを見たら注文が止まらなくなってしまい・・・
どわっと!

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どわっと!

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やばい。
どんだけホタテ。

飲んでいるのは、以前もオーダーした、“青森りんご酢ハイボール”
相変わらず、リンゴの酸味が美味過ぎる~。


じゅわじゅわ~っと。

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ホタテにはバター、そしてお醤油をちょいっと。

DSCN1774.jpg

リンゴ酢ハイボールとカキ、合う~~♪

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残さずペロリと完食。
今日の午後は、食べて、寝て、食べて終わった。

スゴイ胃袋だと、我ながら感心。


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No Subject * by イノぶた
にぽちゃん 
お久しぶりです ^^
イノぶたです!
足跡でにぽちゃん見つけてびっくりしました!
ブログ再開されたんですね
またお邪魔します。

青森 私も大好きです ^^
海産物美味しいし、温泉もいっぱいだしね

それにしても食べすぎでないかぁ~💦 笑)
牡蠣、ホッキ、ほたて 間違いなく美味しい! ドリンクも進みそうですね!


2015-12-13 (Sun)

茅野 縄文の女神たち

茅野 縄文の女神たち

ども にぽぽです=*^-^*=“茅野市尖石縄文考古館”を訪れました。海抜1.000m前後の八ヶ岳山麓の裾野は、豊富な湧水による河川が流れ、ナラ、クルミ、クリなどの落葉広葉樹の森が広がり、多様な動物が繁殖していたことから、縄文人の生活にはうってつけの場所であったようです。考古館入り口近くのジオラマにマッピングされた遺跡の場所の多さにはビックリします。特に、縄文時代中期の遺跡数が多いことで、茅野市は「縄文王国」と...

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ども にぽぽです=*^-^*=



“茅野市尖石縄文考古館”を訪れました。

20151107茅野16



海抜1.000m前後の八ヶ岳山麓の裾野は、豊富な湧水による河川が流れ、ナラ、クルミ、クリなどの落葉広葉樹の森が広がり、多様な動物が繁殖していたことから、縄文人の生活にはうってつけの場所であったようです。

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考古館入り口近くのジオラマにマッピングされた遺跡の場所の多さにはビックリします。
特に、縄文時代中期の遺跡数が多いことで、茅野市は「縄文王国」と呼ばれているのです。



真っ先に向かったのは、国宝が集められている展示室。

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“浅鉢形土器”

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ここしばらく集中して縄文漬けなので、、縄文土器は見慣れた感があるのですが、「所変われば品変わる」の言葉通り、初めて見る“浅鉢形土器”。

浅鉢は、墓坑で埋葬した死者の頭部に被せたものということを意識して見れば、形の美しさだけではなく、厳粛さが感じられるのです。



そして、にぽぽのお目当ての一つ、“縄文ビーナス”
w(゚◇゚)wおおおお~っ!

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“縄文ビーナス”は、昭和61(1986)年に棚畑遺跡から出土した、約5.000年前の縄文中期の土偶です。
高さ27cm。

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集落の中央広場に造られたお墓の中から、顔を外側に向け横たわった状態で発見されました。


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切れ長の目、上向きの鼻、おちょぼ口は、縄文中期の長野県エリア特有の顔だそうです。
かわいい~(((愛~ヽ( ̄▽ ̄)ノ~愛)))

表面はすべすべに磨かれ、さらに粘土に雲母が混ざっているので、体全体がキラキラ☆彡と光輝いて見えます。


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膨らんだお腹は、妊娠していることを表しており、お尻を後ろに突き出すような特徴的な姿勢から「出尻土偶」とも呼ばれているとか(笑)


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その“出尻”を後ろから見れば、美しいハート型。
ビーナスと呼ぶにふさわしい姿に魅了されずにはいられませんよ。

神々しくも可愛らしくて、ビーナスの周りを何度も何度もぐ~るぐる、ぐ~るぐる。
怪しすぎる・・・。


もう一人は“仮面の女神”。

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こちらは、平成12(2000)年に中ツ原遺跡から出土した、約4.000年前の縄文後期の土偶。
高さ34cm。

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こちらもお墓だと考えられている場所から、横向きに寝かされた状態で発見されました。

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死者の副葬品だといわれています。

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とても細かい研磨が施されて黒光りしている身体は、少し怖いくらいの存在感があります。

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両手を広げて胸を張り、空を見つめているような姿。


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なによりも特徴的なのは、顔に逆三角形の仮面をつけていること。
シャーマンの祈祷の姿を表現していて、その集団の守り神のように扱われていた土偶だったのではないか、とも考えられているそうです。

確かに、呪術的な雰囲気が漂っている気がします。

1.000年の隔たりがある二人の女神が、さらに4.000年の隔たりのあるにぽぽと、今この時を共有している!!
そして、にぽぽが死んだ後の1.000年も2.000年もあり続けていくのか・・・
うーん、浪漫ですな~。


そして、土器。

20151107茅野31

ここ最近のにぽぽの日記は、縄文の土器ばかり載せてると思いつつ、載せずにいられないぐらい素敵なのが縄文土器。
もともと、土ものが好きだからなぁ(2009年5月10日の日記⇒府中 お気に入りの茶碗を見つける)。



まずは、縄文前期(約6.000~5.000年前)のもの。

     20151107茅野38

“半裁竹管(ハンサイチクカン)”という、竹を縦半分に割ったものによる線と細い粘土紐を用いた繊細な文様、その中に丸い粒が散っている。
にぽぽは、これを見たとき光を反射する水の流れと真珠を連想しましたですよ。
とっても綺麗な土器ですよね~。



以下、にぽぽのだ~い好きな縄文中期(だと思う・・・)の土器。

     20151107茅野35

装飾が力強い!

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注ぎ口がついています。
水瓶だったのか、それとも祭りの時にお酒を入れたものだったのか・・・?



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不規則なようで規則正しい文様。

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祭りに使われたと考えられている土器。

顔面把手。

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深鉢の中は、女神のお腹という意味なのかしら?



吊手土器。
祭りの時に火をともしたもの。内側に濃くススがついています。

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横から見ると、紐状のものを通して吊るした穴がよくわかります。

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ということは、祭りはやっぱり夜に行われたということなのでしょうね。
 

ミニチュア土器。

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三内丸山にもあったミニチュア土器。
模様や形を実物大のものそっくり、精巧な作りです。


長野の土器はデコラティブでダイナミック。
今までの地域の中で一番好き\(#⌒0⌒#)/



黒曜石。

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黒曜石は火山のマグマからできた天然のガラスです。


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薄く剥げるように割れて、鋭い刃物のようになるので、当時は道具をつくるための絶好の材料でした。
黒曜石は特定の場所でしかとれず、長野県の和田峠、霧ケ峰、八ヶ岳西麓は、中部・関東地方への黒曜石の大供給地でした。
青森の三内丸山遺跡でも、長野県産の石鏃が見つかっています。


黒曜石が輸出品であれば、ヒスイや琥珀は輸入品。

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ヒスイは新潟産、琥珀は関東地方から。
縄文時代にはすでに列島規模での交流があったということですね。


いやいや~
縄文観は、にぽぽの子供の頃と全く違っているんだもんなぁ。
ほんとーーにほんとーーーーに驚くことばかりです。



帰りの時、JR茅野駅では、“新そば祭り”が開催されていました。

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そんな中、ひときわ目につく出店。

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“縄文焼き ビーナス”なのか、“縄文 焼きビーナス”なのか?!


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湯気もわもわ~の熱々ビーナスがいっぱい並んでおりました(笑)


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生地にはそば粉が使われていて、お腹の中には甘さちょーーー控えめの餡子とお餅が入っていました。
もう少し甘くしてもいいのでは・・・・というぐらいのヘルシー感が縄文なのかも(笑)
機会がありましたら、ぜひビーナスをお召し上がりください。




今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
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