にぽぽのお散歩日記

お散歩中の景色、美味しいもの、お気に入りのものを気のむくままに綴っています。

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2019-05-28 (Tue)

東京六本木 ムーミン展

東京六本木 ムーミン展

ども にぽぽです=*^-^*=どどーーんっ!六本木ヒルズにやって来ました~。海外のテレビクルーらしき一行が撮影してたりして、さすが、“ぎろっぽん” だわ~・・・と、オサレスポットに出没しなれていないにぽぽ、心でつぶやく。さて、六本木ヒルズにやってきたお目当ては、これ!にぽぽは、子どもの頃にアニメで『ムーミン』を見ていたのだけど、『ムーミン』はフィンランドを代表する作家であり画家のトーベ・ヤンソンの小説なん...

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ども にぽぽです=*^-^*=


どどーーんっ!

20190528-1.jpg

六本木ヒルズにやって来ました~。


20190528-2.jpg

海外のテレビクルーらしき一行が撮影してたりして、
さすが、“ぎろっぽん” だわ~・・・と、
オサレスポットに出没しなれていないにぽぽ、心でつぶやく。


さて、六本木ヒルズにやってきたお目当ては、これ!

20190528-4.jpg

にぽぽは、子どもの頃にアニメで『ムーミン』を見ていたのだけど、
『ムーミン』はフィンランドを代表する作家であり画家のトーベ・ヤンソンの小説なんですよね。

『ムーミン』の小説の挿絵に使われた原画が展示されるということで、観に行った訳なのです。

小説の挿絵とかって、大きく描いて印刷の時に縮小されているのかと思っていたのですが、
縮尺無しで描かれるものらしく、原画はとっても小さくてびっくり!
しかも緻密で繊細!!

デッサン段階のものや、メモの端に書いたようなものが多く、
なんだかライブ感がすごかったです。

20190528-6.jpg
(フォトスポット)


多くはインクで描かれた白黒ですが、
絵本用の鮮やかな彩色画もあり、淡い色合いが可愛らしいです。


絵本から抜け出しているムーミン達。

20190528-5.jpg
(フォトスポット)

トーベ・ヤンソンは日本文化にもとっても関心をがあったそうです。
浮世絵の雨の描き方や構図にとても興味を持っていたようで、
浮世絵とトーベの作品が並んで展示されたコーナーもありました。

『ムーミン』の世界が浮世絵に影響を受けていたとは、ビックリ!


ムーミン展と同フロアにあるCafe THE SUNからの絶景。

20190528-8.jpg

「ムーミン展 × Cafe THE SUN」コラボレーション開催中ということで、テーブルもムーミン。

20190528-7.jpg

気分は上々で、コラボメニューを注文。

「ちびのミイのイチゴミルクドリンク」

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「スナフキンバーガー」

20190528-10.jpg


『ムーミン』の小説を読んでみたくなって、ムーミン展の特設ショップで、『ムーミン谷の彗星』を購入してきました。
只今絶賛読書中ですが、子どもの頃にみていたアニメと全然違うじゃないか!
とっても哲学的で、子どもというより大人の方が楽しめる本っていう感じ。

ムーミンの魅力再発見で、ムーミンの虜になっています。


今日も読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)

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2015-07-20 (Mon)

歌舞伎デビュー! 七月大歌舞伎

歌舞伎デビュー! 七月大歌舞伎

ども にぽぽです=*^-^*=大人が観に行くもの。そんなイメージがあって、なかなか足を踏み入れられなかった歌舞伎座。でも、そろそろにぽぽだって、いい大人の年齢に達しているので、ここらで一発!歌舞伎を楽んでみたーーーーーいっ!チケットは、夜の部(開演4:30pm)なので、銀座6丁目にある、鉄人 道場六三郎さんのお店 “懐食みちば”で遅めのランチ。お手軽なコースの五法膳。五法「生、焼、蒸、煮、揚」を楽しめる膳だそうで...

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ども にぽぽです=*^-^*=


大人が観に行くもの。
そんなイメージがあって、なかなか足を踏み入れられなかった歌舞伎座。

でも、そろそろにぽぽだって、いい大人の年齢に達しているので、ここらで一発!
歌舞伎を楽んでみたーーーーーいっ!


チケットは、夜の部(開演4:30pm)なので、
銀座6丁目にある、鉄人 道場六三郎さんのお店 “懐食みちば”で遅めのランチ。
お手軽なコースの五法膳。
五法「生、焼、蒸、煮、揚」を楽しめる膳だそうです。

20150709銀座1


前菜

20150709銀座2

冷やし煮物と添えられている青もみじが、夏らしく涼しげ♪
お皿のななめ右上から 魳寿し、蟹すだれ巻き、チーズ黄金焼、ブドウの天ぷら!

ねっとりしたチーズの次に程よい酸っぱさのブドウとか、いろんな味がぎゅっとなっているお皿でした。


御椀

20150709銀座3

鱧しんじょと小蕪、ジュンサイも入って、これまた夏らしいお椀。
道場さんの命の出汁をたんのうです。


御膳

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お造りは、トロのようなカツオ。氷の演出が粋ですね。
焼き物は丸茄子の煮びたしのお皿の中に焼き魚とパプリカ。これも彩がきれい。
茶わん蒸しにはトウモロコシと湯葉!意外な組み合わせが絶妙の味バランス。


食事

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お食事は、うどんの冷たいのか温かいのか。赤だしごはんかの、いずれか。
にぽぽは冷たいうどんをお願いしました。
ゴマの風味が効いている豆乳スープのおうどんは、いくらの塩気がちょーどよかった。


水菓子

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杏仁豆腐かなと、スプーンを入れたら、中は鮮やかなグリーン。
枝豆のプリンでした。

デザートを食べる頃にはお腹ポンポコに。
どれも綺麗で、ちょうどよい美味しさ。


はぁ~、満足満足♪♪



・・・・


じゃなくて、今日は歌舞伎がメインだった。


20150709銀座9

この日(2015.07.09)、銀座はあいにくの雨。
まあ、にぽぽは雨女ですし、梅雨明け前ですから当然の天気と言えますけどもね。

以前にこの辺りをお散歩したのは、歌舞伎座が高層ビルになる前だったので、もう5年も前のことです(2010年3月8日の日記⇒銀座 龍馬伝)。
さぼりさぼりではありながら、このブログも結構長く続いてるもんですね。


20150709銀座10

夜の部の演目は、
平家物語を題材にした熊谷陣屋と牡丹灯籠。

初心者のにぽぽにも馴染みのあるうれしい演目。


20150709銀座11

熊谷陣屋には、市川海老蔵さん
牡丹灯籠には、市川中車さんと坂東玉三郎さん!


歌舞伎座の前の人だかりは、4時に開場すると、我先にと中に押し入っていきます。
指定席なんだから急ぐ必要はないんですけど、なんか熱気に押されて早くいかなくちゃっていう気になってしまう。


20150709銀座12

会場に入ると、舞台には歌舞伎のシンボルである“定式幕”がふわりとかかっており、
おー歌舞伎観に来たんだよな~という気分が盛り上がってまいります。

ちなみに、江戸時代の芝居小屋における幕は、幕府が許可を与えている芝居小屋にだけにしか許されていませんでした。
幕府が許可を与えていた芝居小屋は三つだけで、中村座、市村座、森田座で、『江戸三座』と呼びます。
(当初は山村座を入れた四座だったのですが、山村座は有名な江島・生島事件で没落してしまったのです。)

『江戸三座』のあった時代の幕は座ごとに配色が異なっていて、中村座が黒・白・柿(現在は平成中村座が使用)、市村座は黒・萌黄・柿(現在は国立劇場や大阪新歌舞伎座が使用)、森田座は黒・柿・萌黄(現在は歌舞伎座や京都南座が使用、天乃屋の歌舞伎揚げもこれ!)でした。



寛政年間(1789~1800年)の森田座です。

寛政年間の木挽町森田座

こちらは、一つ目の演目が終わった後の平成年間の歌舞伎座(笑)。

20150709銀座13

花道があって、桟敷席があって。
構造は江戸時代から引き継がれています。

一つ目の演目と二つ目の演目の間の幕間は35分。
この間にお弁当を食べていたりします。幕の内弁当ですね!


一谷嫩軍記・熊谷陣屋の市川海老蔵さんの“制札の見得”(歌舞伎の中の有名な見得)も良かったし、牡丹灯籠の市川中車さんもよかった!
なんていったって、坂東玉三郎さんの素敵だったこと!!
仕草が美しいばかりではなく、中車さんとのコミカルな掛け合いに、会場は笑いまくり。
怪談なのに、人間のエゴだったり、欲だったりがオカシク描かれているんですよ。
牡丹灯籠ってこういう話だったのかーと初めて知りましたよ、にぽぽは。

牡丹灯籠が空を飛んだり、いろいろな仕掛けがあってすごく楽しかったです。

ちなみに、牡丹灯籠はそもそも落語の演目で、歌舞伎化されたのは明治25(1892)年なので、言葉もわかり易くて、初心者のにぽぽでもじゅーーーーぶん楽しめました♪



20150709銀座14

歌舞伎を出ることには、すっかり歌舞伎にはまった にぽぽでした。
次は桟敷席で幕の内弁当を食べたいぞーっ!! (←そこ?)




今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)

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2012-03-18 (Sun)

日本橋 失われた川を求めて その2

日本橋 失われた川を求めて その2

ども にぽぽ です=*^-^*=さて、日本橋からのお散歩に戻りましょう。永代通りを西へ。埋められてしまった道三掘りの名残を探してみます。東京都千代田区大手町2-2-1の新大手町ビルジングと野村ビルの間の通り。ちょうどこの通りが、道三掘りに架っていた道三橋の跡になります。 道三橋を越えて、永代通りを進めば、そこは江戸城大手門。永代通りに並行するようなイメージで道三掘りがあって、江戸城まで続いていた・・・現在の...

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ども にぽぽ です=*^-^*=




さて、日本橋からのお散歩に戻りましょう。



永代通りを西へ。

201201日本橋散歩24



埋められてしまった道三掘りの名残を探してみます。

201201日本橋散歩25



東京都千代田区大手町2-2-1の新大手町ビルジングと野村ビルの間の通り。

201201日本橋散歩26


ちょうどこの通りが、道三掘りに架っていた道三橋の跡になります。

201201日本橋散歩27
 



道三橋を越えて、永代通りを進めば、そこは江戸城大手門。

201201日本橋散歩28


永代通りに並行するようなイメージで道三掘りがあって、江戸城まで続いていた・・・現在の景色からはまったく想像もできませんねぇ・・・。



201201日本橋散歩29

道三橋跡のすぐそばでは、建っていた古いビルを壊し、新しいビルへの建て替え工事が進行中。
そして、永代通りの地下では、なにやら地下鉄の工事が行われているらしい・・・今の東京の景色も、騒音をたてつつ静かに、静かに、変わり続けているんだな~。




永代通りを戻って、再び銭瓶橋跡の辺りへ。

201201日本橋散歩30



さらに、進んで外堀通りとの呉服橋交差点から、今度は外堀通りに入ってみます。

201201日本橋散歩31



外堀通りは、言わずと知れた、江戸城の外堀を埋めて道路にしたところ。

     201201日本橋散歩33

呉服橋交差点のあたりは、道路より歩道が高くなっているところがあり、道路に降りる階段がなんとなく小さい船着き場のよう。



やがて進行方向右手に見えてくるのが、東京駅の八重洲口。

201201日本橋散歩34

八重洲の地名は、慶長5(1600)年に日本に漂着し、徳川家康に重用されたオランダ人ヤン=ヨーステン・ファン・ローデンスタインの屋敷があったことから、和名「耶楊子(やようす)」をもじってつけられたと言われています。



201201日本橋散歩35

八重洲口のグリーン地帯の中には、記念プレートもありますが、ヤン・ヨーステンの屋敷があったのは、現在の東京駅の西側、江戸城の和田倉濠に沿った辺りだったようで、江戸時代の地図には、和田倉濠のところに“八重洲河岸”という文字が見えます。

また、八重洲口の辺りに架っていた八重洲橋は明治時代になってから架けられたので、江戸時代はこの場所には橋はありませんでした。



お散歩も、もう終盤。
張り切って、外堀通りを南に進んで行きましょう!

201201日本橋散歩36



ビルが途切れた鍛冶橋交差点。

201201日本橋散歩37

ここにあった鍛冶橋を渡り、ほぼ正面に見えるガラス張りのビルの東京国際フォーラムの辺りにあったが土佐藩の上屋敷。
坂本龍馬も立ち寄りました(2010年3月5日の日記⇒ 東京 龍馬伝 )


もう銀座1丁目のあたり。

201201日本橋散歩38



そのまま進むと、JR有楽町の駅の近く、数寄屋橋交差点です。

201201日本橋散歩39


鍛冶橋の次に外堀に架かるのは数寄屋橋でした。

201201日本橋散歩40



数寄屋橋を渡ったところには、南町奉行所がありました(2010年3月12日の日記⇒ 遠山の金さんと龍馬の有楽町で逢いましょう♪ )。

201201日本橋散歩41


外堀と江戸城の間、現在の東京駅の辺り一帯は、大名小路と呼ばれた、今でいう官公庁街だったので、江戸時代が終わった明治時代初期には、大名屋敷に詰めていた人たちはみな地元に帰ってしまい、ほとんど無人の状態。
その広大な屋敷や奉行所の土地を活用して、明治政府は一気に近代化を進めることができたのでした。

だから、交差点に外堀に架っていた橋の名前が残っている以外、江戸時代の名残を探そうと思ってもな~んにも見つけることはできないのです。

そして、常に変化し続ける東京の景色、数年後にここを歩いたら、また違った景色になっているのかもしれません。




変わり続けていく街並みで、引き継がれていく江戸もあり。

201201日本橋散歩42

銀座あたりのお寿司屋さんへ入る勇気がなく(汗)、駅近の回転寿司へ。
江戸時代、お寿司は屋台で提供される庶民の食文化だったのですから、これも立派な江戸文化でしょう。

それにしても、回転寿司でも八海山が飲めて、お寿司もそこそこなものが出てくる日本って、素敵よねーと、カウンターで隣り合わせたフランス人3人のツーリストがお寿司を楽しんでいるのを眺めつつ、お酒をすするにぽぽなのでした。



日本橋町人地 2


ビルばっかりの写真で、何が何だかわかりませんでしたね、これは(汗)
今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
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No title * by hiro
mixiではお世話になっています。m(__)m

江戸の昔をさぐる散歩、良いですねぇ~。地名の由来も江戸に起源を発しているのも多いし、探訪記、楽しみにしてます。

ちなみに、汐留の辺りには、会津藩下屋敷もあったそうですよ。

No title * by ソーニャ
いつも逆コースを辿って呑みに行ってます。

>その広大な屋敷や奉行所の土地を活用して、明治政府は一気に
>近代化を進めることができたのでした。
強引なというか行動力というか、現都知事みたい!?
よく云って行動力がある、でも強引でよね。都知事みたい!?

八重洲の地名がオランダ人の名前をもじっていたなんて
初耳ですじゃ!! 記念プレートまであったとは知らなんだで
次回は実物を見てきます。

No title * by タヌ子
日本は本当にすごいスピードで変わっていきますよね。
9年勤めていた赤坂で迷子になるとは思いませんでした!
今や地元ですら迷子です(滝汗)
八重洲がオランダ人の名前から来ているなんてびっくり。
70年代ぐらいに建てられたビルって、老朽化するうとすごくみすぼらしくなりますよね。
フランスはそういう醜いビルを建て直す予算がないのか、美しい街並みの汚点として所々に混在してるのが不愉快。
銭瓶橋跡辺りにいる金色の人が気になります。
拡大してみたけどよくわからなかった。
歴史上の人物ではなさそうだけど、手に持ってるのが松明なのか鎌なのか・・・

No title * by hirokun
こんにちは♪
いつも訪問&コメントありがとうございます。
案内板やモニュメントなんかがあって、江戸の名残
を感じることが出来ますね。
街歩きしないと、見過ごしてしまいそうなことも。
伝統を繋ぐことと、便利な生活。
バランスが実に難しいですね。
回転すしに八海山!?
そんなの飲めるんだ。
日本の食文化って偉大だぁ。。。

No title * by hisami
江戸情緒を回想しつつ
回転寿司で江戸前~
良いお思うわ~♪

(o゚Д゚o)マァッ!!! * by あいりっしゅ
回転寿司で八海山ですとぉ?
飲みたいですゎ
フランスの方じゃなくても
日本ってステキよねぇ~
って言っちゃいますゎ(='m') ウフ

No title * by サプリメント管理士
地方に住んでいる者にとっては、
まるで立体地図を見ているようで楽しいですよぉ~(#^.^#)
江戸城大手門、分かります。
東京国際フォーラム、出張の際、行きました。
銀座もちらりと行ったことがあります。
でも、それらがどう繋がっているのか、
どのくらいの距離で、歩いて移動できるものなのか、
全く分からないぃ~v-393
にぽぽさんのお陰で、次回は歩いて回れるかも?(#^.^#)

NoTitle * by ROUGE
ああ・・・そうか。
地名でそこが昔何だったのか解るね。
何気なく通過していたけど・・・

震災とかを経験しちゃうと
埋立地は怖いなって思うんだよね~

江戸の町、そのままだったら、道路が狭くて不便だったでしょうけど
便利さによって失ったものも沢山あるね。

ちなみにダーリンが皇居で仕事する機会があって
その時に宮内庁の人に聞いてもらったの。
「何故 江戸城は無いのですか?」って(^^;
火事で燃えちゃったんだね。
江戸城は再建してもいい気がした(^^;

NoTitle * by イノぶた
にぽちゃん こんばんわ~

地名の由来を 知るのって面白いね ^^)
へぇ~へぇ~って言いながら読んでいました。

回転すし!庶民の食べ物てって言ったらこっちだよね!
カウンターで食べる寿司はNG(美味しいけどね 笑)
八海山はお正月に飲んだよ~
東京でも あるんだね~
ぽん酒にお寿司なんて かっこいいわ~ にぽちゃん!!

NoTitle * by いもごん
こんばんは!

先日は訪問、コメント、ありがとうございました(^^)
都心部でもにぽぽさんのようにしっかり探索すれば
こんなにたくさんの歴史や文化を発見できるんだな~
と、感心しています。
八海山、いいですね(^^)
また来ます。

2012-03-11 (Sun)

2012年の常磐橋

2012年の常磐橋

ども にぽぽ です=*^-^*=前回のお散歩から、ちょっと寄り道になりますが・・・。一石橋から外堀を上流に向かうと、“常盤橋”、“常磐橋”、“新常盤橋”というふうに、“ときわばし”が三つ架っております。江戸時代から外掘りに架っていたのは、真ん中の“常磐橋”になります。江戸城の城郭門 「常磐橋御門」 の 見附橋 として架けられたもので、創架時期は定かではありませんが、見附が出来たといわれる寛永6(1629)年よりも以前から...

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ども にぽぽ です=*^-^*=





前回のお散歩から、ちょっと寄り道になりますが・・・。


201201常磐橋1

一石橋から外堀を上流に向かうと、“常盤橋”、“常磐橋”、“新常盤橋”というふうに、“ときわばし”が三つ架っております。


江戸時代から外掘りに架っていたのは、真ん中の“常磐橋”になります。

201201常磐橋2



江戸城の城郭門 「常磐橋御門」 の 見附橋 として架けられたもので、創架時期は定かではありませんが、見附が出来たといわれる寛永6(1629)年よりも以前から橋はあったようで、一説には天正18(1590)年とも伝えられているそうです。

201201常磐橋3



大手町側には 枡形門 の石垣跡が残っています。

201201常磐橋4

この門は、“日光街道(奥州街道)”に向う主要ルートであり、将軍家や水戸徳川家も利用する重要な見附でありました。

この橋も、もとは下に皿の“常盤橋”でしたが、皿は割れるのでよくないので改名するよう、町年寄の奈良屋市右衛門が命ぜられ、市右衛門は自宅に寄宿していた浪人に頼んで橋の名を考えてもらい、下が石の“常磐”という名を献じたそうです。



江戸時代にはむろん木造の橋でしたが、明治10(1877)年、廃止された常磐橋門の石垣の石を流用して石橋に改築しました。
日本橋よりも古い、都内随一の貴重な洋式石橋なのです。



現在は史跡として保護されつつ、車の通行はできませんが、歩行者は渡れるという情報を得ていたので、渡るのを楽しみにしていたのですが、

201201常磐橋6

なんと、通行止めに!!



橋の下から見ると、その理由は一目瞭然。

201201常磐橋5
(日本橋川クルーズの時の写真です。)

2011.03.11に起こった東日本大震災の時、常磐橋の石もあちこちずれてしまったのだそうです。

この石が一つでも落ちてしまうと・・・御想像の通り、その横、さらに横とつぎつぎに石が落ちて、橋が崩落してしまうのです。
現在、橋の下にはセンサーが付いていて、石が少しでも落ちると千代田区役所にブザーが鳴るようにして管理しつつ、修復を待っております。

日本橋川クルーズで、この橋の下を通る時は、かなり怖かったです。



大手町側にある常磐橋公園から見たところ。

201201常磐橋8



枡形門 の石垣も、番号が書かれたシールが貼られて、専門家らしい人が調査に来ていました。

201201常磐橋7

見た感じではわからないけど、やっぱり地震でなにか被害がでたのかな?



201201常磐橋9

東日本大震災から1年がたちました。
思わぬところで、地震の被害を見ることになり、改めて、あの地震のすざましいさを感じたのでした。



今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう。
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No title * by ようこ
こんばんは
今日も話していたんですよ、大阪にいたら大した揺れもなかったけど、東京は結構被害が大きかったよね、って。
文化財などにも被害が出るのは残念ですね。
常盤橋、人間カーナビに誘導されて通りました! 「ときわ」という漢字が「常盤」「常磐」の2種類あるのは何故かなと思っていましたが、こうしたゲン担ぎなんですね。勉強になりました。

No title * by ソーニャ
あれっ見覚えのあるところが・・・出てるぞー。
常磐橋公園の升形門跡でした。
日本ビルにいた頃、ここで待ち合わせしてました。
何だろうと思いながら、ここもそのままにしていました。
升形門を検索して升形門の役割を知りました。





No title * by サビオ
あれから1年・・・
だいぶ離れた東京でさえ結構な被害があったのだから、被災地はテレビで見たりした映像や私の想像以上にすさまじかったのだろうなと、つくづく思います。
常盤橋、上は通行禁止だけれど、下をクルージングはOKなんですね(笑)確かに怖そうです(^^;
写真でもわかる位だから、結構ずれてるんですね(^^;
落ちないうちに、修理されたらいいな~とおもいました(><)

No title * by ふぅ
そっか。 今は常磐橋渡れないのね。
大震災から一年。 計り知れない影響を感じますね・・・。

以前、常磐橋公園隣のビル (あはは!写ってるわ) に勤務していたこと 「も」 あり、この門跡の石垣が妙に懐かしいです。
前回のお散歩で、一石橋方面に進路を取ったので、この辺のお散歩はないと思ってたんですが、さすがにぽちゃん、歴史の遺構は逃しませんねー♪

No title * by タヌ子
先日フランスのニュースで大震災の揺れは北京でも観測されたとのことなので、石垣や橋がずれるのも当然ですよね。
それにしてもいつ崩れてもおかしくない状態なのに、修復を待つ間、補強もせず、その下をクルーズ船が通るって、安全基準が厳しい日本なのに意外な対応ですね。
海外のニュースも『あれから一年』という特集を組んでますが、原発事故のミニ焦点が当てられて、津波による被災地の現状を伝えてくれないのが残念です。

No title * by hirokun
こんにちは♪
いつも訪問&コメントありがとうございます。
説明がないと、どこの橋も一緒に見えてしまう。。。
興味を持って見ることって、実に勉強になりますね。
これだけの橋も、やっぱり地震の影響を受けたみたい
ですね。
見ることで、震災のことを忘れずに、今後に活かして
いくことが、私達には必要なことかもしれないですね。

No title * by ちびた
おはようございます

皿は割れるから変えるようにという指示に、下を石に変えた
字をあてるとは、なかなか面白い話ですね。

しっかり組み込んだ石は、1つ外れると次々と外れて
崩落してしまうのこわい話。早く修復してほしいですね。
こんなところにも震災の影響が出ているんですね・・・・

No title * by berry-berry
にぽたん、こんにちは♪  **ヽ▼o・ェ・o▼ノ** ♪

日本橋川クルーズは
かなりの危険と隣り合わせていたのね。
頑丈に組まれているから、びくともしないのかと思ったら
あちこちに被害を及ぼしたんですね!!
恐るべし、3.11。
先日も雪かきしながら、お向かいの奥さんと
数メール置きに亀裂の入った道路に
地震の凄さを感じていたところです。
雪かきのスコップ?が、亀裂に引っ掛かってやりにくいのです。

直下型がきたら、どーしよう。
一刻も早く修復お願いしたですね!!
これ以上、お江戸のものが失われないように、
みんなで守っていかなくちゃね!!
防災対策も、しっかりやらなくちゃ。。。 
直すところだらけだー!!
地震、怖いな…。   v-286v-380

No title * by まり
皿は割れるからと改名し、さらに石橋にして頑丈にしたのに
残念ですね。東京はかなり被害があったのですね。
早く修復しないと、また大地震が来たら砕けてしまいそう・・・
その橋の下のクルージングは危険すぎますよね(^_^;)

No title * by あいりっしゅ
未だに大きくはないものの
地震が頻繁に起こってるから
この橋の石も見た目には分からないなりに
少しずつずれているかもしれないですねヾ(・ω・`;)ノ
早い修復を望みまする

2012-03-05 (Mon)

日本橋 失われた川を求めて その1

日本橋 失われた川を求めて その1

ども にぽぽ です=*^-^*=日本橋三越でお昼ご飯を食べた(2012年2月24日の日記⇒ 日本橋 お江戸のへそ )後のお散歩であります。日本橋三越本館と中央三井信託銀行の間の通りを歩いていこうと思います。江戸時代の景色はこんなでした。     安藤広重 『名所江戸百景』 する賀てふ通りを挟んで越後屋があり、正面には堂々たる富士山が見えました!この辺りは、天正18(1590)年、徳川家康が江戸に来てすぐに造成された町割...

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ども にぽぽ です=*^-^*=




日本橋三越でお昼ご飯を食べた(2012年2月24日の日記⇒ 日本橋 お江戸のへそ )後のお散歩であります。


201201日本橋散歩1

日本橋三越本館と中央三井信託銀行の間の通りを歩いていこうと思います。


江戸時代の景色はこんなでした。

     201201日本橋散歩2
安藤広重 『名所江戸百景』 する賀てふ


通りを挟んで越後屋があり、正面には堂々たる富士山が見えました!



この辺りは、天正18(1590)年、徳川家康が江戸に来てすぐに造成された町割です。
地子免除(地租税ととらない)として、伊勢、大阪、京都、堺、奈良、近江、三河などから商人や職人の進出を奨励して、江戸の商工業の中枢となったエリアです。
今でいう、特区ですね(^^


中央三井信託銀行の裏手には、江戸町方の総とりまとめ役、今でいう東京都副知事のような役割である“町年寄”を務めた樽屋(代々藤左衛紋を襲名)の住居兼役宅がありました。

“町年寄”は樽屋の他、奈良屋(現在の日本橋石町の住居、市右衛門襲名、後に館の姓を許される)、喜多村屋(日本橋室町2-4辺りに住居、彦右衛門を襲名)があり、この3家が世襲して幕末まで務めたそうです。

樽屋は、三方ケ原の合戦(長篠の合戦という説もあり)の時に、徳川家康に酒樽を献上したことから、“樽屋”の屋号となったそうで、“町年寄”の筆頭であり、関東33ヶ国の升、樽改めの特権を与えられていたとのこと。
樽屋の刻印のない升、樽の使用は禁じられていたので、その方からの収入もん莫大なものだったそうです。



201201日本橋散歩4

中央三井信託銀行の建物を過ぎた次の区画にあるのが、日本銀行です。
日本のお金を作っているところですが、江戸時代にもお金(金貨)を作っていた“金座”があったところです。



日本銀行を過ぎたところは常盤橋交差点。

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201201日本橋散歩6

正面の高速道路の下は日本橋川が流れていて、向かって右に常盤橋(写真の字の新常盤橋は間違いです、すみません!)、左に一石橋となりす。
物流を船に頼っていた江戸時代は、ここは水路のターミナル・ポイントでした。



一石橋です。

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一石橋の名前の由来は、北橋詰に金座御用の“後藤庄三郎”の屋敷があり、南橋詰に御用呉服商の“後藤縫殿助”の屋敷があったので、「五斗+五斗で一石」ともじった洒落から名付けたと伝わっています。

この手のダジャレ、多いですよね江戸時代って(笑)



現在はもちろんコンクリートの橋になっていますが、この橋って、桁下がえらく低いのですよ!

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(これは日本橋クルーズの時の船からの写真)

満潮時は、橋の下を船が通るのは厳しそうな感じです。



話を江戸時代に戻しまして、一石橋は、「八つ見橋」や「八橋」とも呼ばれていました。
先ほど、この地点はターミナル・ポイントであったと書きましたが、この一石橋で日本橋川は外堀とつながり、さらに江戸城に物資を運び入れるために掘られた道三掘りとつながっておりました。

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橋上に立つと自身も含めて八つの橋(外濠の常磐橋・呉服橋・鍛冶橋、日本橋川の一石橋・日本橋・江戸橋、道三堀の銭瓶橋・道三橋)が見渡せたことが由来で、江戸の名所のひとつだったのです。

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安藤広重 『富士三十六景』 東都一石ばし

絵の手前が一石橋、次に見えているのが道三堀の銭瓶橋、その向こうに小さく道三橋、さらに江戸城が見えたのですが、

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現在は川の上は高速道路だし、道三堀が埋め立てられて銭瓶橋はないし、ビルが建てられてしまい江戸城はもちろん見えないし(涙)。



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安藤広重 『名所江戸百景』 八ツ見のはし 

江戸の頃の景色がまぶしい~っ(><)



一石橋を渡った南詰めには、正面に「満よひ子の志るべ(迷い子のしるべ)」と書かれた石標が残されております。

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江戸期の後期、この付近はかなりの繁華街で、迷い子が多く出たそうです。
当時は迷い子は町内が責任を持って保護するという決まりがあり、付近の有力者が世話人となり安政4(1857)年2月に「満よひ子の志るべ(迷い子のしるべ)」が建てらました。


左側には「たづぬる方」、

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こちらの窪みに迷子や尋ね人の特徴を書いた紙を貼ります。



標の右側には「志(知)らする方」、

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「たづぬる方」の紙を見た人の中で心当たりがある場合は、その旨を書いた紙を「志(知)らする方」の窪みに貼って迷子、尋ね人を知らせました。

このほか浅草寺境内や湯島天神境内、両国橋橋詰など往来の多い場所に数多く設置されたようですが、現存するものは一石橋のものだけです。




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「満よひ子の志るべ(迷い子のしるべ)」を背にして、JXビルと日本ビルジングの間。
ここは江戸時代の道三掘りの上にあたります。

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この辺りに架っていた“銭瓶橋”の説明板があると噂を聞いたので、しばし探してみましたが発見できず、ビルのガードマンさんに不審な目で見られてしまいました(またしても・・・汗)。

天正19(1591)年に伊勢出身の与市という人が、銭瓶橋のたもとで銭湯風呂を営んだことが記録として残っております。
江戸の銭湯第一号なのですが、なーんの名残もありません、なんか残念。
ものすごく江戸城に近いこの場所で銭湯だなんて!
名づけるなら絶対、「将軍の湯」で決まりなのに(笑)。



ビルの間を歩いて、正面が永代通り。

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ほぼ正面の太陽が反射しえいるのが、ホテルメトロポリタン丸の内で、東京駅の日本橋口の辺り。

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ここを左に行くと、すぐに永代通りが外堀通りとぶつかる呉服橋交差点になりますが、その辺りに架っていたのは、もちろん呉服橋。

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呉服橋を渡った先、現在のグラントウキョウノースタワーの辺りにあったのが北町奉行所です(2010年3月5日の日記⇒ 東京 龍馬伝 )。




201201日本橋散歩22


そんなに距離は歩いていないのですが、江戸時代の地図と現在の地図を見比べながらのお散歩は骨が折れます(笑)。

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甘いもの補給して、脳ミソを一休みさせるとしましょう!



日本橋町人地 1

江戸のオタク散歩、次回に続きます!
今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
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No title * by hisami
ビル街の東京で昔のお江戸探しは
大変そうですが面白いね~♪
遠山の金さんに会えましたか?(笑)

No title * by berry-berry
にぽたん、こんにちは♪  **ヽ▼o・ェ・o▼ノ** ♪

フォアグラ&ヒレステーキ丼を食べたあと
まだこんなにも、失われた川を追跡してたのねー。
お仕事しながら、しっかりレポートをまとめる姿勢に
ただただ脱帽。。。\( ̄□ ̄)/ハハァー!!m( ̄_ ̄)m

安藤広重の絵からすると
富士山の見える景色は、すごくキレイね。
一石橋からの眺めも
想像するだけで、素晴らしかったんだろうなぁ。

『満よひ子の志るべ』なんていうのも面白いね。
責任持ってお世話してくれるって
親として嬉しくなったり…。
人情に厚いねェ。。。(´▽`) ホッ♪
いつか『銭瓶橋』にリベンジでしょうか。
お疲れさまでしたー!!

休日のブログの〆はこちらなので
私も脳みそを一休みさせなくっちゃ!! ≧(´▽`)≦アハハハ♪
にぽたんのは、ティラミスかしらー?
私も甘いもの補給ですょ。 <(; ̄ ・ ̄)=3 フゥ... v-286v-380

No title * by こま
にぽぽさん、こんにちは。

歴史に疎い私には、ちょっというか・・・・けっこう、難しい言葉や色々。 ^^:
なんとな~~く分かったような感じで勉強になり面白かったです。
昔は「徳川御三家」というものも「????」な私でした。 >_<:
高速道路やビルが立っていない、せめて明治か大正時代の景色を見てみたいです。

No title * by イノぶた
それにしても・・・
すごい趣味だわ~感心しちゃいますよ!!
しかし・・・二つの地図をもって歩く・・・かなり挙動不審・・・かな? 笑)


一石橋とか銭瓶橋付近の銭湯話・・・
私は タモリ倶楽部で見たような気がします。
是非 タモさんと競演してほしいな~にぽちゃん!!
なんか つてありませんか? 笑)

No title * by ソーニャ
迷子を町内で責任をもって保護するんて、今より
よっぽど治安が良かっんですね。

>樽屋の刻印のない升、樽の使用は禁じられていたので
升を上げ底にしてインチキが出来ないようにしたのね。
専売してた樽屋は悪さはしなかったのかな?

2年だけ派遣をしたことがあり、日本ビルにいたことがあります。
現在の職場は以前日本橋だったこともあって今でも懐かしくて
あの界隈に行ってます。讃岐うどん、畔もなくなってしまって。
栄太郎の喫茶の松花堂弁当が懐かしい。


No title * by ようこ
こんばんは 12月に東京に行ったとき、御茶ノ水から東京駅まで歩きましたが、にぽぽちゃんなら、興味深いものをいっぱい発見したでしょうね。携帯電話をネットにつないでいないので、家でパソコンを見ている夫に「何m歩いたら〇〇がある」なんて実況してもらいながら歩きましたが、そのとき「呉服橋」という名前が。
後で、吉良邸がここにあったときいて、感動しました。
歴史を知れば街歩きは楽しい! にぽぽちゃんのお散歩の神髄ですね。

No title * by タヌ子
教の江戸散歩も楽しかった!
この辺にこんなに橋が集中していたなんて全然知りませんでした。
本当に江戸の景色は美しいですね。
町造りの際に、わざわざ富士山が美しく見える場所を計算したかのよう。
今見えあるのは高層ビルのみ(涙)
迷子や尋ね人などの情報を1箇所で管理するって賢いですよね。
今は情報の発信元が多すぎて、逆に情報を集めにくくなってるかも。

No title * by hirokun
こんにちは♪
いつも訪問&コメントありがとうございます。
ダジャレって概念、江戸時代からあったんかな(笑)
隅々まで、江戸のなごりを感じさせてくれるものが
いっぱい。
散歩も目線を変えると、歴史懐古みたいな雰囲気に
なりますね。
多くの方は、サッとスルーしてしまうモニュメントも
掘り起こしてみると、実に意味深いものだと思いました。。。

お江戸 * by あいりっしゅ
お江戸の頃の風景
絵ではなく実際に見てみたいでするねぇ~(◡‿◡*)
叶わぬ話ですが。。。


こんばんみゃ☆ * by こまいぬ
広重の絵が ちょこちょこ登場するのが
嬉しいですわ
広重、ちょっと好きなの♪
1枚目の絵…
マジ、お江戸の時代には 通りの正面に
こんなふうに富士山が見えてたのかー
すごいなぁ
ビルもない、電柱もない、空気も澄んでる
そんな時代の富士山が見える風景
想像するだけで ぶるっときちゃう
「たづぬる方」、「志(知)らする方」、こんなお話、
初めて知りました~(^0^)