ども にぽぽです=*^-^*=「国生み」の物語の主人公、日本という国の両親ともいうべき、イザナキとイザナミへのご挨拶を済ませたところで、旅の一日目のメインテーマであるスサノヲの神話を巡るため、奥出雲方面へ向かいます。『 黄泉の国から戻ったイザナキが、禊をするため裸になって水にはいり、左目を洗った時に成り出た神がアマテラス、右目を洗った時に成り出た神がツクヨミ、そして鼻を洗った時に成り出た神がスサノヲで...
「国生み」の物語の主人公、日本という国の両親ともいうべき、イザナキとイザナミへのご挨拶を済ませたところで、旅の一日目のメインテーマであるスサノヲの神話を巡るため、奥出雲方面へ向かいます。
『 黄泉の国から戻ったイザナキが、禊をするため裸になって水にはいり、左目を洗った時に成り出た神がアマテラス、右目を洗った時に成り出た神がツクヨミ、そして鼻を洗った時に成り出た神がスサノヲです。』
この三柱の神はとても貴い神で、三貴神と言われております。
右目から生まれた太陽神であるアマテラスと、左目から生まれた月の神であるツクヨミで完結したほうがバランスがいいのに、鼻からスサノヲを生まれさせる無理やりさと、しかも、ツクヨミの半端ない影の薄さ。
なんだか、後からスサノヲを付け足したような感じがするのはにぽぽだけでしょうか・・・。
『 イザナキは、アマテラスに高天の原を、ツクヨミに夜の国を、スサノヲには海原を治めるように命じたのですが、スサノヲは、「母のいる根の堅州に行きたい」と泣きわめき、命令に従おうとしないので、イザナキはスサノヲを神の国から追放することにしたのです。』
イザナキの鼻から生まれたスサノヲなのに、イザナミは母なのか?・・・というにぽぽの疑問は置いといて。
神の国を追放されたので、アマテラスに別れを告げに行ったら、攻めてきたと誤解されたり、(この誤解を解くためにスサノヲがアマテラスの勾玉を噛み砕き、アメノホヒなどが生まれた訳です)。その後アマテラスを怒らせて天の岩戸に閉じこもらせたりと、いろいろあるのですが、このくだりでもツクヨミは全く出てこない(苦笑)。
さて、揖夜神社を後にして国道9号を西に戻り、県道53号へ。
迷うことなく、どわーんっと熊野大社。

かつては、熊野大社が出雲国の一ノ宮で、出雲大社が二ノ宮と、熊野大社が筆頭であったとのこと。
祭神は伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命。
「伊邪那伎日真名子」は、イザナキが可愛がる御子という意味で、スサノヲのことだそうですが、可愛がられたっけ?
社地に入るには、意宇(おう)川を渡ります。

この川の下流には、国庁跡などがあり、かつての出雲国の政治の中心がこのあたりだったのだなーと感じさせてくれます。
熊野大社というと、和歌山県の熊野古道の方を思い浮かべますが、和歌山県の大社は、ここから勧請されたものという説もあるそうです。
創建年代は不明。
資料の初見は、『日本書記』の斉明天皇の時代のところに、「出雲国造をして厳神(いかしかみ)の宮をつくらしむ」という記載だそうです。
斉明天皇、よく出てくるわぁ~、この天皇の頃に、日本の国がいろいろと整えられていったということなのかな。

太ーい注連縄の髄神門を抜けると、正面に拝殿。
その左側にイザナミ、右側にクシナダヒメが祀られております。
神の国を追放されるほどそばに行きたかったお母さんと、奥さんを両脇において、幸せそうなスサノヲが目に浮かびますね(笑)。
さて、次の目的地へ。
県道53号から県道25号へ入り、ひたすら南下。
スサノヲによるヤマタノオロチ退治の地をめざして、ひたすら走る。
県道25号は、ドライブにもってこいのルートで、途中には絶好の撮影ポイントもたくさんあったのですが、地元の車のスピードが半端ないんですよ!
後ろにつかれると、追い越し車線もないカーブ連続の道なのに、バンバン追い越される・・・怖い~っ。
ご迷惑にならないよう、頑張って結構スピード出して走ってみたのですけどもねぇ・・・逃げ場もない一本道なので、ちょっと止まって写真を・・・という余裕がなく、途中の風景の写真はほとんど無し。
人気がなくなってきたなーと思うと、

突然、こんな風に道幅が狭くなる!
(この先、もっと 狭い道になって、ガードレールも心もとなくなり、ハンドル斬り損ねて落ちるのではないかと思った 汗っ)

峠を超えて、人家も近くなってホッと一息。
県道25号が国道314号にぶつかったら、雲南市方面へ向かうはずが、反対方向へ走っていることに気付いたのは、標識に横田の文字を見た時・・・。
出雲横田は、スサノヲの妻になるクシナダヒメの誕生の地とも言われているそうです。
今は仁多町と合併して奥出雲町になっています。

はぁ~っ
なんで間違えたんだろう・・・
結構な距離走ってしまったので、当初の予定を変更して、ループ橋としては日本一の規模を誇るという“おろちループ”まで行ってみることにいたします。

山と山をつなぐような巨大なループ橋を見上げたかと思うと、いつの間にかそのループに巻き込まれて、見上げていたはずの山の頂上へ到着。

『 高天の原を追放されたスサノヲは、出雲の「肥の河上、名は鳥髪といふ地」に降り立った。』
「肥の河上の鳥髪」は、斐伊川の上流の鳥髪山のことで、現在の船通山だといわれています。
奥出雲鉄の彫刻美術館で一休みしながら、船通山はどれかなーなどと眺めてたものの、全くわからない(笑)。

時刻はちょうど昼時。
予定していた場所とは違ってしまったけど、付属施設のカフェで昼食をとることに。
瓶ごと運ばれてきたお水には、「おいしい水道水」というシールが!

実は、この近くには“延命水”と呼ばれる島根県名水百選の一つが湧き出しており、ここらの水道水は、その名水と同じ水脈からとられているとのことで、確かに、販売されているミネラルウォーターにも勝る美味しさでした。
このあたりは舞茸も名物ということで、


舞茸ずくしのメニューを頂きました。
一息入れて、まだまだ長い道のりを走り続けます!
今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)

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