にぽぽのお散歩日記

お散歩中の景色、美味しいもの、お気に入りのものを気のむくままに綴っています。

Top Page › Archive - 2019年07月
2019-07-14 (Sun)

佐賀 縄文のタイムカプセル東名遺跡

佐賀 縄文のタイムカプセル東名遺跡

ども にぽぽです=*^-^*=本日の日記は長いので、写真はサムネールにしてあります。大きい写真を見たい方はダブルクリックしてみてください。田んぼです。四方ぐるりが田んぼと畑です。そして、雨です、、、。私、佐賀県は佐賀市の北に位置する、「東名(ひがしみょう)遺跡」にやってきております。東名遺跡は、縄文時代早期(約8.000年前年前)の遺跡です。(地図はGoogle Earth を利用したもの)東名遺跡は現在の海岸線から12km...

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ども にぽぽです=*^-^*=
本日の日記は長いので、写真はサムネールにしてあります。大きい写真を見たい方はダブルクリックしてみてください。


田んぼです。

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四方ぐるりが田んぼと畑です。

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そして、雨です、、、。


私、佐賀県は佐賀市の北に位置する、「東名(ひがしみょう)遺跡」にやってきております。

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東名遺跡は、縄文時代早期(約8.000年前年前)の遺跡です。

東名遺跡海岸線
(地図はGoogle Earth を利用したもの)

東名遺跡は現在の海岸線から12km程度の距離にありますが、現在よりも温暖であった縄文時代の海岸線は遺跡付近にあったようです。
当時の海岸線を、イメージで青いラインを入れてみました。

縄文人たちは、海の幸を求めて約8.000年前にこの地に住み着きました。
当時の環境は大きな河口を臨む丘陵地の端に位置しており、カシやシイの木などの照葉樹林が生い茂り、河口付近にはイネ科、ヨモギ科、カヤツリグサ科などの草が生育し、干満の影響が強い干潟であったと考えられています。


縄文人たちは丘の上に居住し、その落ち際に点々と6つの貝塚を形成しました。

東名遺跡貝塚分布図
(地図はGoogle Earth を利用したもの)

ところが、その後も温暖化が進み、海面が上昇していったため人が住むことができなくなったようです。

河川の運ぶ土砂と満潮の巻き上げる細かい土が一気に堆積していき、約7.000年前ごろには、縄文人の生活の痕跡は粘土層の下に埋没してしまいました。


地下深くに眠っていた縄文人たちの痕跡が発見されたのは、洪水対策用の調整池建設に伴う調査によってです。
現地表面下1~2mを調査した結果、167ヶ所の炉跡や墓地、土器や石器が発見され、縄文遺跡の少ない佐賀において貴重な資料となったのですが、調査を終えて重機による掘削工事中に6ヶ所の貝塚が発見され、急遽調査を再開することとなり、現地表面5~7mの深さに埋没していた貝塚を初め、日本最古級の遺物が大量に出土したのでした。

重機が削ったのが、ちょうど貝塚の上部だったという奇跡!
ガバーーーーっと掘ってしまっていたら、東名遺跡は気づかれずに破壊されてしまっていたかもしれないんですねぇ。


では、東名縄文館で出土品を堪能したいと思います!
入場は無料!

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貝のアクセサリー

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800点以上出土。
近くの有明海では採れない貝種も多く、玄界灘や南西諸島から持ち込まれたようです。
広域な交流があったと考えられています。


骨角製のアクセサリー

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300点以上出土。
猪の牙のペンダント、エイやサメ椎骨のピアス、鹿角製のヘアピン。

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特に点描画のような細工の装飾品は、美しすぎました!
縄文早期にこんな技術があったとはビックリです。


木製の立櫛

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土器

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縄文土器って朱っぽい茶色のイメージがありましたが、ここの土器はグレーがかった茶。
唐津の焼き物のようじゃありません?
焼き物の色はその土地の土の色に影響されるんだなーと、思った瞬間でした。

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さらにここの土器の文様は縄目ではなく、貝を押し付けたり、引っかいたりして作ったものなんですって。


石器類

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人骨も見つかっています。

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8人分の骨が10mほどの円内にまとまって発見されました。

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3体同時に埋葬された人骨も見つかっています。これはレプリカですけど。
死んだ人を埋める場所は決まっていたようです。



ここに来た一番のお目当てはこれ!

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ガラス越しの撮影なのでわかりにくいんですが、、、
編みかごです。

東名遺跡では731点の編みかごが発見されました。
黒くて丸い粒は、いっしょに発見されたどんぐりです。


水が湧くような低い場所に穴を掘り、どんぐりを入れたかごを入れて貯蔵していたのだそうです。
どんぐりを水に漬けることで、虫を殺したり灰汁を抜くことができるという一石二鳥の知恵。
縄文人、スゴイ!

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かごは高さ50cmのものから1mほどの大きなものまで、様々。

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大型のかごが復元されていました。
大型のかごの材料はムクロジやイヌビワなどの木の皮、小型のかごの材料はツヅラフジやテイカカヅラなどのツル植物だそうです。


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東名遺跡で確認された編組技法は様々なものがあり、現代に見られるほとんどの技法が縄文時代早期の段階で成立していたそうですよ。


通常の遺跡には残っていないようなものが東名遺跡で状態よく残ったのは、厚い粘土層で覆われて外気と遮断されたことと、水気の多い湿地にあったためにツルや木で作った植物性遺物ものが残ったこと。

そしてこれ!

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貝塚があったため。
貝殻のカルシウム分で土が中和されて動物の骨などの動物性遺物が残ったこと。
3つの条件が揃った、まさに奇跡のタイプカプセルなんですね~。


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東名遺跡に暮らした縄文人が食べていたものは、河口や干潟に住むヤマトシジミ、アゲマキ、ハイガイ。
木の実は、ドングリをはじめとして、クヌギ、ナラガシワ、イチガシの他にオニグルミやカヤ。
魚はスズキ、ボラ、クロダイなど比較的大きな魚、その他にエイ、サメ類やスッポン!
動物は圧倒的に鹿とイノシシが多く、その他、ノウサギ、タヌキ、ニホンザル、アナグマなども食べていたようです。

貝塚の上の方にある牡蠣の貝殻なんて大人の手より大きいです!
ちょーーーーーグルメ!


こんなすごい遺跡なのにあまり人は来ないようで、縄文館にいた係のおじさまは、私が東京から来たと言ったら、
「東京からわざわざ?ヘェェッ!なんでここを知ったんですか?」
と、ものすごく驚いていました。


縄文文化は東日本以北に残るもので、西日本にはほとんど無いと思っていた私。
日本最古級の縄文遺跡が佐賀にあるなんて、知らなかった。

青森の三内丸山遺跡に劣らずスゴイ遺跡なのに、存在が地味すぎるっ!!!
もっとアピールすればいいのに、もったいないっ!

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貝塚も保存のために埋め戻されてるから、調整池と野原しかない・・・。
変態級の歴史オタクの私には、野原でもじゅーーぶん浪漫を感じられたけど(笑)。


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2019-07-16 (Tue)

佐賀 お酒がすすむガリゴリの郷土料理

佐賀 お酒がすすむガリゴリの郷土料理

ども にぽぽです=*^-^*=佐賀の一日目は雨ドシャドシャ。東名遺跡以外の予定は断念し、県立博物館と美術館をブラブラ見学した後、早めにホテルにチェックイン。やることもないので(笑)、早めに晩御飯にしようと佐賀駅付近をふらついて目を付けた「第一三吉丸」さん。入口に呼子の烏賊のお造りの写真があったので、これは!と期待しておじゃましました。呼子の烏賊はあいにく入荷していなかったのですが、佐賀の郷土料理がたくさ...

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ども にぽぽです=*^-^*=


佐賀の一日目は雨ドシャドシャ。
東名遺跡以外の予定は断念し、県立博物館と美術館をブラブラ見学した後、早めにホテルにチェックイン。

やることもないので(笑)、早めに晩御飯にしようと佐賀駅付近をふらついて目を付けた「第一三吉丸」さん。

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入口に呼子の烏賊のお造りの写真があったので、これは!と期待しておじゃましました。


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呼子の烏賊はあいにく入荷していなかったのですが、佐賀の郷土料理がたくさんメニューに載っていました。
せっかくの旅なので、郷土料理食べたいです!お勧めを聞きながら注文。


ムツゴロウの煮付けとガニ漬け

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ムツゴロウは真っ黒な姿にビックリしたものの、頭からボリボリいけちゃいます。
ちょっと骨が多いからよく噛んだ方がいいけど。

問題はガニ漬け。
お店のご主人いわく、「シオマネキという右手のハサミが大きいカニを丸ごと叩いてすり潰し、塩と唐辛子で漬けたもの」だそうですが、口に入れたら塩っ!!!そうとう塩っ辛いです。
そして、ハサミやら足やら硬いものしかないので、噛んだらガシャガシャする・・・。

「お酒がすすむでしょー」って主人。
塩辛さがお酒で丸くなるので、ガニ漬けをちびっと口に入れてはお酒をすすり、ガニ漬けちびっと、お酒をすすり・・・
た、確かにお酒が進んでしまう!恐い!!

この食べ物の歴史は万葉集にも歌われているというから相当古いようです。


本日のおすすめメニューにあったアゲマキ。

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東名遺跡の縄文人たちも食べていた貝。
身がプリっとしていて食べごたえがあり、美味しい貝です。

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逆さにすると兵隊さんのように見えるので、こっちでは「兵隊さん貝」とも呼ばれているとか。
ご主人がタイミングよく面白いお話しをしてくれるので、楽しくて食べ物もお酒もすすむ、すすむ。

「仕事で来たんですか」と聞かれたので、「旅行です~」と答えると、「佐賀なんてなんもないのに、何しに来たの?」とビックリされてしまった。
東名遺跡のおじさまもそうだったけど、佐賀の人は、佐賀に人が来くることにえらくビックリするようです(笑)。


それにしてもこのお店は、馬肉、ローストビーフ、鶏肉のお料理もあれば、お鮨も握ってくれるようで、なんでもある!
私はお魚食いなので、「この辺りの人はどんなお魚を食べるんですか?」と聞くと、「今はマグロもあるけど、昔はほとんど白身魚だった」そうで、「ボラとかクジラとかだったなー」と。

東名遺跡でも出土していた「ボラ」!
ボラはメニューにないので、代わりに生簀にいたアジをお刺身にしてもらう。

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私としては、お刺身はこのぐらい厚く切って欲しいです、全国の居酒屋さん!


さらにクジラも注文。

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歯止めが効かなくなって来てますな、私。


ご主事が漬けたコーヒー焼酎。

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これ絶品!
アイスコーヒーかっ!というほど、スルスル飲めてしまう。
「ガムシロ入れたらホントにアイスコーヒーですよ、これは!」と、ご主人に言うと、「そういう発想はなかったけど、カクテルみたいでイケるかも」と、かなりノリノリ。


お刺身を食べ終わったアジの骨は、揚げて骨せんべいにしてくれました。

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昔は骨せんべいを出してくれた居酒屋さん、多かったんだけど、最近はチェーン店ばっかりで、こういう肴を出してくれるお店が少なくなったよなぁ~と、骨せんべいとともに時代を噛みしめた私。

このお店、またいつか行きたいな~。
その時には、もしかしたら甘いカクテル仕様のコーヒー焼酎がメニューになってるかも、フフフ。


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2019-07-18 (Thu)

唐津 日本最古の水田跡 菜畑遺跡

唐津 日本最古の水田跡 菜畑遺跡

ども にぽぽです=*^-^*=本日の日記は長いので、写真はサムネールにしてあります。大きい写真を見たい方はダブルクリックしてみてください。佐賀の旅 二日目の朝です。佐賀から約50km、唐津に到着しています。朝6時にホテルを出発して車で約1時間半走ってやってきましたよ~。朝っぱらから唐津までやってきたのは、8時に朝食を予約してるからです!駅近くの京町へ。商店街のほとんどのお店は当然OPEN前ですが、お豆腐...

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ども にぽぽです=*^-^*=
本日の日記は長いので、写真はサムネールにしてあります。大きい写真を見たい方はダブルクリックしてみてください。


佐賀の旅 二日目の朝です。

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佐賀から約50km、唐津に到着しています。
朝6時にホテルを出発して車で約1時間半走ってやってきましたよ~。

朝っぱらから唐津までやってきたのは、8時に朝食を予約してるからです!


駅近くの京町へ。

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商店街のほとんどのお店は当然OPEN前ですが、お豆腐屋さんは朝早くから営業。

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お客さんがお豆腐を買いにきていましたが、このお豆腐屋さんは、寛政年間創業の川島豆腐店(⇒HP) さんです。
ざる豆腐発祥のお店ということで、出来立てのざる豆腐をいただけるお店なんですって。


店舗横の扉を入ります。

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中に、10席ほどのセンスのいいスペースがあります。
素敵~♪

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サインを見つけましたよ。

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色紙ではなく、壁に書いてもらっているのもオシャレ~。



お食事は、カウンターからそっと差し出されました。

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ゴマ豆腐、豆乳、おから。豆乳が美味しいこと!

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大きなザルいっぱいに入れられたお豆腐から、取り分けて出されるお豆腐。
湯気がほわほわして、あったかいです。お塩で頂きます。

次に出てきたのは厚揚げ。

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揚げたてで熱々。お醤油がお勧めということなので、お醤油をかけて・・・

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外側がカリカリ。美味いっ!

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ざる豆腐と厚揚げはお代わりいただけますよ。

身体にやさしい~味でヘルシーなものばかりですが、結構お腹がいっぱいになってきたところで、御椀ものとご飯。

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御椀はもちろんお豆腐のお味噌汁。
もち麦のお粥だ♪とわさびを溶いていざお箸を入れようと思ったら、

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あ!お豆腐っ!
うずみ豆腐というお料理です。

お腹もいっぱいで、大満足~と思っているところにデザートが出てきました。

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お豆腐です!お豆腐なんですが、甘いお豆腐のプリンなんです!!
カラメルが黒蜜で、美味しいのなんの。3個ぐらい食べたい・・・(爆)。

こういう美しい朝ご飯を食べると、ちゃんと正しく生きていこうっていう気持ちになり、普段のいい加減な食事を反省。
旅行を終えたら、食生活を正そうと決意。
ん?なんか・・・何度も同じような決意をしているような気がする。


では、お腹もいっぱいになったので、唐津でも遺跡に行きますよ~!



唐津駅から西に8kmばかり行きますと、菜畑遺跡はあります。

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唐津湾のすぐ近く、平野部と緩やかな丘陵斜面の際に立地しています。

菜畑遺跡
(地図はGoogle Earth を利用したもの)

菜畑遺跡は縄文時代晩期後半(約2.500~2.600年前)の遺跡で、水田や稲作に使われた木製の農具が出土したことで、弥生時代よりも早い時期に大陸から稲作が伝わり、日本で稲作が行われていたことが実証された場所なのです。


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山の幸では、マタタビ・ヤマイモ・イチゴ・クコなどの種子が出土していて、この他にもユリ根・ムクノキ・ヤマモモ・シイ・カシ・ワラビ・ゼンマイ・ヤマビワ・カキ・オニグルミ・ヨモギ・ノブドウ・セリ・クリなどの球根や種子を食べていました。
アマチャズルも食べていたようなので、もしかしたら砂糖の変わりのような使い方もしていたのかもしれませんよね。

海の幸は、イルカやジュゴン、クジラなどの海獣類をはじめ、サメ・エイ・イワシ・マグロ・サバ・アジ・ブリ・スズキ・タイ・ハゼ・ゴチなど。

どこの縄文遺跡に行っても思うけど、私が持っていた縄文時代のイメージより豊かな食生活。


畑も作られていて、アワ・オオムギ・ソバの雑穀と、アズキ・リョクトウマメの豆類栽培の他、ゴボウ・ナスビ・メロン(!!)・マクワウリ・ヒョウタン・シソ・ゴマ・キュウリがあり、現在の農家で栽培されるほどんどの品種が出そろっています。
もちろん品種改良されていない原種でしょうから、甘さや柔らかさは今と全然違うということを理解したとしても、2.600年も前だなんて思えない!



復元されている水田を見に行きましょう!

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さほど広くはないスペースに、竪穴式住所が一棟復元されています。

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遊歩道に沿って歩いていくと・・・

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すぐに水田があります。

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今でも、古代米等のお米を植えて育てているようで、この時期水田と周りの草との境目が解りにくいっ!

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田んぼ一枚の長さは、大人の歩幅で4~5歩程度の小さいものです。

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水田跡は畦畔や矢板列によって区画されています。
縄文後期から弥生中期までの水田跡が発見されたので、水田の変遷も明らかになったそうです。

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写真右に写っているのが杭と矢板。左に写っているのは、縄文後期の鍬。日本最古のものです。


杵と鍬、柄振り。

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当然、現代のものではなく、縄文後期の農具です。


石鎌

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お米の収穫に使ったんでしょうね、きっと。


炭化したお米が発見されました。

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縄文時代に栽培されていたのは、現代と同じジャポニカ米。


これは、お米を焚くのに使われていた土器。

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縄文時代の炊飯器といったところですね~。


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お米が食べられるようになると、お茶碗など一人ずつの器が使われるようになったようです。


これは日本最古の石包丁

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菜畑遺跡は日本最古のオンパレード!



水田は丘陵部の際の谷に沿って作られていたことが解ります。

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高台の丘陵部に居住域の村が設けられていたんですね

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菜畑遺跡では、村と水田に至る中間地帯で祭りが行われていたことが解っています。

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祭壇が設けられ、当時飼育されていたブタの頭骨を飾り、彩色した高杯土器や穀物などを供えて、豊作を祈ったものと考えられています。
ブタは下顎に棒を通して飾っていたようです。

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こんな感じ。

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長野県の諏訪大社では、シカの頭を始め鳥獣魚類等が供え られる御頭祭がありますが、それを彷彿とさせるような行事です。
諏訪も縄文大国であるので、御頭祭の起源は縄文時代にあるのかもしれないですね、いつか調べてみよう。


これも、祭り関係のものかな?

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「男根状石製品」としか書かれていない縄文晩期のもの。
この手の出土品には全然説明書きがないんですよね。照れなんですかね、やっぱり。
青森や長野で見た石棒よりかなり小さくなっていますが、やはり繁殖への祈りは脈々と受け継がれているのだろうなと、勝手に理解してみました。


祭りの説明書きに「飼育されていたブタ」とサラっと書かれていました。
ブタとは、野生種のイノシシを時間をかけて家畜化したものです。日本にはイノシシがたくさん生息していましたが、家畜化される途中の形態もをったイノシシの骨は出土しておらず、最近のDNA分析の結果から、弥生時代の遺跡から出土したイノシシ類の中に中国大陸系統の遺伝子をもつものがいることがわかったそうです。このことから、日本のブタはすでに家畜化されたものが中国大陸から持ち込まれたと考えられています。
日本でブタの骨が出土する遺跡はとても少ないことから、全ての地域でブタが飼育されていた訳ではないようです。
菜畑遺跡は、めずらしくブタが飼育されていた遺跡でもあるということですね。

また、ウシやウマに先立ててブタだけが伝わったこと。
イノシシが多くいる日本なのに食料としてのブタを飼育する必要があったのか?などなど、謎が多いブタなのであります。



おまけとして、稲作の伝播ルート(都市の場所やルートはあくまでもイメージで正確なものではありません)。

稲作の伝播
(地図はGoogle Earth を利用したもの)


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No Subject * by イノぶた
にぽちゃん
こんにちわ!!!
青森だと思ってたら 佐賀!
飛ぶわねぇ~ 笑)
それにとてもいい朝ご飯 
私も食べてみたいわ! メモメモ✐
みごとに豆腐づくしで!! ^^

豚話が面白い 笑)


No Subject * by hisami
5月の後半に青森を5日間旅してたのねぇ
で、にぽちゃんも同じような頃旅してる記事見て
かなり嬉しかったわ(笑)
で、今回は佐賀に縄文旅なんですね
お豆腐~かなり魅力的☆☆☆

2019-07-20 (Sat)

唐津 城下町そぞろ歩き その1

唐津 城下町そぞろ歩き その1

ども にぽぽです=*^-^*=縄文時代を満喫して、再びJR唐津駅の辺りに戻ってきました。唐津城は、豊臣秀吉の家臣・寺沢志摩守広高が慶長7(1602)年から7ヶ年の歳月を費やして完成したと伝えられています。唐津の街は、唐津城の縄張りや昔の町名がそのまま残っていて、江戸時代の面影を感じることができます。では、唐津の城下町そぞろ歩きスタート!JR唐津駅の辺りは町田口といって唐津城下の南の入り口の門があり、番所が置かれて...

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ども にぽぽです=*^-^*=





縄文時代を満喫して、再びJR唐津駅の辺りに戻ってきました。



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唐津城は、豊臣秀吉の家臣・寺沢志摩守広高が慶長7(1602)年から7ヶ年の歳月を費やして完成したと伝えられています。

唐津の街は、唐津城の縄張りや昔の町名がそのまま残っていて、江戸時代の面影を感じることができます。



唐津城の縄張り





では、唐津の城下町そぞろ歩きスタート!



JR唐津駅の辺りは町田口といって唐津城下の南の入り口の門があり、番所が置かれていました。



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ここから東へ。

お城の方向に歩いていきます。



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町田川に架かる橋の手前に交番。



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この辺りは札ノ辻といって、唐津城下の東の入り口の門があったところです。



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唐津城下の南東隅の石垣が残っています。



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町田川には低い太鼓橋上の橋がかかり、橋を渡ると南向きの門が建っていたらしいです。



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門をくぐると番所があり、南側には町奉行所がありました。



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この先は木綿町、呉服町、京町まどの町人地へつながっていました。



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札ノ辻から見える風情のある橋は、千鳥橋。



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昔の札の辻橋もこんな感じだったのかも。







千鳥橋より河口側にかかっている橋からの風景。



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橋の袂には、唐津城三ノ丸の辰巳櫓が建っています。



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この辺りが、外曲輪と城内である三ノ丸の境目となります。



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三ノ丸には、唐津藩士のほとんどが住んでいました。







旧唐津銀行。



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唐津銀行は明治18年に設立し、翌年に開業しました。

この建物は明治43年8月に着工し、明治45年3月に竣工しました。

設計者は東京駅と同じ、辰野金吾さん。



銀行としての営業は平成9年まで続いていたそうです。すごいっ。

現在は唐津市に寄贈され「辰野金吾記念館」として一般公開されています。


佐賀県道347号線の大手口交差点

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唐津城の大手門があったことが大手口の名の由来です。
この辺りの佐賀県道347号線は唐津城の肥後堀に沿って開通しました。

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道のうねりが堀であった名残を感じさせます。
肥後堀は昭和に入る頃に民間払い下げのうえ全て埋め立てられてしまいました。


大手口西の交差点

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三ノ丸の南端にあたる石垣と、埋め立てられてしまった肥後掘りが復元されています。

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唐津城下そぞろ歩きはまだまだま~だ続きます。






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No Subject * by イノぶた
にぽちゃん
歴史を知って歩くと重みが違うわよね
うちの旦那も よくそう言いますが
私は だいたいの知識で歩くので
見逃しポイントいっぱいなのよね 笑)

まだ ちょこちょこ城跡が残ってるんだね
見つけるとちょっとうれしいわね ^^


2019-07-29 (Mon)

唐津 城下町そぞろ歩き その2

唐津 城下町そぞろ歩き その2

ども にぽぽです=*^-^*=大手口西から北に向かって歩きます。するとそこには唐津神社。狛犬さんの首の注連縄におみくじがいっぱい結ばれていました。唐津神社は天平勝宝7(755)年に建立されました。一ノ宮とニノ宮があり、一ノ宮の御祭神は 表筒男命(うわつつおのみこと)、中筒男命(なかつつおのみこと)、底筒男命(そこつつおのみこと)の住吉三神(すみよしさんじん)。海上安全と禍事清祓(まがごときよはらい)の御神徳。二...

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ども にぽぽです=*^-^*=





大手口西から北に向かって歩きます。



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するとそこには唐津神社。



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狛犬さんの首の注連縄におみくじがいっぱい結ばれていました。



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唐津神社は天平勝宝7(755)年に建立されました。

一ノ宮とニノ宮があり、一ノ宮の御祭神は 表筒男命(うわつつおのみこと)、中筒男命(なかつつおのみこと)、底筒男命(そこつつおのみこと)の住吉三神(すみよしさんじん)。海上安全と禍事清祓(まがごときよはらい)の御神徳。
二ノ宮の御祭神は唐津の総氏神として、神田宗次公(こうだむねつぐこう)。
相殿神として、水波能女神(みずはのめのかみ)、 火伏の御神徳。


水と火を 御する神社ということですね。


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唐津神社の秋季例大祭が、ユネスコ無形文化遺産にも登録された、「唐津くんち」。



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一番曳山の赤獅子を先頭に14台の曳山が唐津城下を巡行するお祭りです。



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唐津神社の縁起にあわせて旧暦9月29日を中心にお祭りがおこなわれていたことが「くんち」の由来らしいです。

曳山は、高さ7m前後あり、大迫力です。

唐津神社に隣接する曳山展示場で曳山と唐津くんちのビデオを見てお祭りの雰囲気を堪能しましたが、いつかライブで見てみたいです。





神社の向井は大志小学校で、ことも達がプールに入っていたようで、子どもたちのはしゃいだ声と先生の注意する声が絶えまなく聞こえてきました。



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大志小学校の向かい、要するに唐津神社の裏側には、江戸時代に唐津藩の藩校がありました。



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この門は享和元年(1801)年に建造されたもので、廃藩後は小学校、監獄所、寺院の門として引き継がれ、その後市に寄贈されて現在に至っています。





唐津神社の正面まで戻り、東に向かっている路地を歩いていこうと思います。



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道に面して垣根になっていたり、敷地がゆったりとしている風情が、なんとなく武家屋敷っぽいと思いながら歩いていますと・・・



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屋根の間に天守がチラチラ。



テンションが上がり、思わず「殿ーーーっ」と、勘違いな忠誠心が湧きあがりそうになりますwww

でも、唐津城に天守は無かったということなので、江戸時代にいた本当の藩士たちは、この辺りから天守を仰ぎ見ることはなかったはずです。



果たしてこの路地は、



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明神横小路といい、江戸時代は、唐津藩の家老などが住んでいた辺りかと思われます。

まさに、藩士たちが歩いていた道なのでした。



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T字路のところがポケットパークになっていて、道の説明が書いてありました。



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明神横小路に突き当たっているのは大手小路。



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ここを真っ直ぐ行くと、大手口です。

なるほど、だんだんと城下のつくりが解ってきましたぞ。





明神横小路の突き当り。



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突き当りのT字路を左に曲がる。



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櫓っぽいものが見えてきます。



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時計台です。



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江戸時代は、この辺りに時の太鼓があり、城内に時を告げていました。

現在は児童公園に整備され、唐津藩絵図に基づいて櫓が再現されていますが、実はからくり時計になっていて、時がくれば中から、武士人形がせり出して、大太鼓を打ち鳴らすらしい。

見物する人もいないであろうに時間の度に太鼓を打つのか・・・切ないじゃないか。

いや、それが武士の務めなのかもしれないけどww。





時の太鼓の前の交差点はニノ門交差点。



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三ノ丸とニノ丸の間はニノ門堀がで切られていて、二ノ丸に入る門があったところです。



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藩士たちは、この橋を渡り登城していたのです、いよいよ私も登城ーーーーー・・・



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の前に、右に曲がる。





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本丸の対岸に向かって、千代田橋を渡ります。





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二ノ丸の南端の石垣をワイドに見ることができます。

足元にカニを発見。



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しばし眺めて、昨日食べたガニ漬け(2019年7月16日の日記⇒佐賀 お酒がすすむガリゴリの郷土料理 )を思いだしてしまった・・・。





本丸の天守を正面にとらえる撮影ポイント。



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江戸時代には天守は無かった(しつこい)訳ですが、やっぱり絵にはなりますなぁ~。

木製っぽく姿のよい橋は、城内橋。
この橋を渡って、次回はいよいよ唐津城登城!







今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)

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No Subject * by イノぶた
狛犬におみくじのレイって見たことなかった( ゚Д゚)
にぽちゃんは時計台のからくり見なかったのね 笑)
ちょっと気になる・・・ ^^
やっぱりお城には天守閣!あったほうが絵になるだろうけど 無いもの作っちゃ~駄目よね 笑)


No Subject * by hisami
成程~~~登城までの道中が
なんだかブラタモリを見てるような流れ
ブラタモってますねぇ~
かなり楽しいわ♪