ども にぽぽです=*^-^*=
遺跡を見た後は、遺跡から出土したものが展示されている“さんまるミュージアム”へ。
“縄文のこころ”コーナー。

まずは「栗の大型木柱」が、迎えてくれます。
存在感が半端ない!!
このコーナーの中心にあるのは、にぽぽ憧れの「縄文ポシェット」

遺跡北側の斜面、縄文前期の捨て場から出土したもの。
植物を利用して編まれた袋状の編み物。中には、クルミの殻が入っていたそうです。
高さ15cm、幅10cmぐらい。
斜め懸けしたポシェットだったのか、それともウエストポーチだったのか。
女の子がつけていたものなのか、それとも・・・妄想が止まらない。
編み方は、「網代編み」で今でも使われている編み方です。
こういうのを見ると、縄文時代って今と変わらないなーと感じます。

組紐だって!
三内丸山は、縄文時代の捨て場が湿地だったことから、こういう有機物が残っていたんですね。

片口のお皿なんて液状のものを注ぐことに使うデザイン。
何に使っていたんだろうか。

縄文時代の出土品としてはおなじみの“石鏃”ですが、

水晶の石鏃なんて!!!
初めて見たーーーーーーーーーーーーーーーっ!
狩りに使ったというより、祭りの道具だったのでしょうか。
“テーマ展示-縄文人のくらしをひもとく-”コーナー。

三内丸山で食べられていた魚は、イワシ、サケ、タラ、ニシン、ホッケ、スズキ、ブリ、タイ、ヒラメ、カレイ、マグロ・・・
今、食べられているものがほとんど見つかっているとのこと。

骨で作った釣り針や、網の修理や仕立て加工に使う網針や網を沈めるために使ったと思われる加工した石が見つかっています。

漁の方法も今と変わらない!
三内丸山で食べられていた動物の骨が展示されています。

動物はウサギやムササビなどの小動物が多いのが特徴みたい。
イノシシやシカは少なかったようですね。

弓や銛には、石鏃をつけて使っていたのですが、石鏃の接着には、アスファルトが使われていたそうです。
縄文時代の人々が最も多く利用した食べ物は植物。

三内丸山遺跡からは多くの植物の種も見つかりました。
中でもクリやクルミは多く食べられていて、栽培していた可能性が高いことがわかったとのこと。
クリの木は建設部材としても使われていますし、一番身近な木だったのでしょうね。

栽培されていた植物としては、ヒョウタン、ウルシ、アサ、エゴマ、ゴボウなどが見つかっているそうです。

さらに、サルナシ、キイチコ、ヤマブドウ、ニワトコなどの種もたくさん見つかっています。
特にニワトコは普通は食べられないことから、実を発酵させたお酒を造っていたのではないかと考えられています。
『はじめ人間ギャートルズ』で、猿酒を美味しそうに飲んでいるシーンが印象的だったけど、あんな風景が実話だったのかも!ギャートルズの設定は石器時代だけどさ。
ちなみに、猿酒とは、サルが木の洞や岩のくぼみなどに溜め込んだ果実などが自然に発酵して酒になったもののこと。
サルナシはサルがこの果実を猿酒にしたとされることから名づけられたそうですよ。

種が見つかった状態が展示されていましたが、虫眼鏡を覗き込んでもどれが種でどれが土なのか解らなかったよ!

亀ヶ岡遺跡で見てきたのは、圧倒的に甕だったけど、北海道南部から東北地方北部では、縄文時代前期中頃から中期頃(5.500~4.500年)にかけて、筒状をした土器がたくさん造られたそうです。
「円筒土器」と呼ばれていて、外側の下が熱を受けて赤くなっていたり、吹きこぼれの跡が残っていたり、明らかに煮炊きに使われていたことが解っています。

時代によって土器の形が違っていて、前期のものは円筒型で複雑な縄文が施されています。
中期のものは円筒型の他に胴部が膨らむものも見られ、注口、片口、皿型なども見られるようになります。
生活が複雑で豊かになったのかもしれませんね。

にぽぽが好きなのは、やっぱりこの辺り。縄文中期頃のもの。

漆工芸の技術は、縄文時代にほぼ完成していたものと考えられています。
赤い顔料はベンガラ(酸化鉄)。
岩石を砕いて粉になるまですりつぶし、漆に混ぜて使われていたそうです。

漆の樹液や赤い顔料が入った土器も見つかりました。

縄文時代前期の赤漆を塗った櫛なども見つかっています。

こんな風に使ったようです。

縄文時代の遺跡からは、多くの装身具が見つかりますね。






土製や木、石などバラエティにとんだアクセサリー。
ヒスイは、約700km離れた新潟県糸魚川周辺から持ち込まれたもの。

土製や木のものは、普段使いで、石は特別な時に使われたのかな。
特に、ヒスイは別格だったんだろうなー。
ミニチュアの土器も見つかっています。

ミニチュア土器は、土偶など同様に“送り場”と考えられる盛土から多く出土したことから、祭りの道具と考えられているそうですが、大人たちが土器造りの合間につくった子供へのおもちゃ・・・だったらホッコリするなーと思ったりしました。
でも、そこまで長閑な時代ではないですもんね。
残念ながら衣服そのものは見つかっていないのですが、服の可能性がある編布片が出土しています。
出土したものと同じ編み方で推定復元した縄文服。

縦糸と横糸を絡ませて編んだもの。

衣服の制作に使用したと思われる骨製の針も多く見つかっています。

ちゃんと糸を通す穴もあって・・・だんだん、縄文時代のものを見ているとは思えなくなってきているにぽぽです。

ここから見つかった土偶を見ると、丸首の服ではなくV字ネックのものだったのかも。

さらにこの土偶を見ると、

複雑な模様を編み込んでいたのかもしれないなーーーと、またもや妄想が止まらない。

縄文時代は、日本文化の基礎が仕上がった時代と言えるかも。

コーナーの最後には、黒曜石の原石。

鉱物好きのマニア心がむずむずする~(笑)
それにしても、ここのミュージアムは展示の仕方がとても素敵で、ものすごく楽しかった!
ミュージアムショップで、縄文時代の書籍を買い込んで、レストランの前に来ると、
「縄文人もびっくり 栗ソフト栗夢」
と、ダジャレまくりの幟が乱立しておりました。
きらいじゃない、このセンス。
ソフト栗夢・・・クリユメと読んじゃダメですよ、クリームね。

もちろん、購入して食す!
栗夢というだけあって、栗のまんま!
縄文人もびっ栗でしょうが、にぽぽもびっ栗のおいしさでした。
で、食べ終わって思い出す。

♪かぁぜぇたちぃぃぬ~~いーまーはーあき~~
・・・・寒っ!!
慌ててあったかいお蕎麦を注文。

こういうところのお蕎麦って、いわゆるこういうところのお蕎麦なんだろうなーと思ったら、お蕎麦、美味しかった!!
縄文人も食べていた秋の味覚とともに。
今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)

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遺跡を見た後は、遺跡から出土したものが展示されている“さんまるミュージアム”へ。
“縄文のこころ”コーナー。

まずは「栗の大型木柱」が、迎えてくれます。
存在感が半端ない!!
このコーナーの中心にあるのは、にぽぽ憧れの「縄文ポシェット」

遺跡北側の斜面、縄文前期の捨て場から出土したもの。
植物を利用して編まれた袋状の編み物。中には、クルミの殻が入っていたそうです。
高さ15cm、幅10cmぐらい。
斜め懸けしたポシェットだったのか、それともウエストポーチだったのか。
女の子がつけていたものなのか、それとも・・・妄想が止まらない。
編み方は、「網代編み」で今でも使われている編み方です。
こういうのを見ると、縄文時代って今と変わらないなーと感じます。

組紐だって!
三内丸山は、縄文時代の捨て場が湿地だったことから、こういう有機物が残っていたんですね。

片口のお皿なんて液状のものを注ぐことに使うデザイン。
何に使っていたんだろうか。

縄文時代の出土品としてはおなじみの“石鏃”ですが、

水晶の石鏃なんて!!!
初めて見たーーーーーーーーーーーーーーーっ!
狩りに使ったというより、祭りの道具だったのでしょうか。
“テーマ展示-縄文人のくらしをひもとく-”コーナー。

三内丸山で食べられていた魚は、イワシ、サケ、タラ、ニシン、ホッケ、スズキ、ブリ、タイ、ヒラメ、カレイ、マグロ・・・
今、食べられているものがほとんど見つかっているとのこと。

骨で作った釣り針や、網の修理や仕立て加工に使う網針や網を沈めるために使ったと思われる加工した石が見つかっています。

漁の方法も今と変わらない!
三内丸山で食べられていた動物の骨が展示されています。

動物はウサギやムササビなどの小動物が多いのが特徴みたい。
イノシシやシカは少なかったようですね。

弓や銛には、石鏃をつけて使っていたのですが、石鏃の接着には、アスファルトが使われていたそうです。
縄文時代の人々が最も多く利用した食べ物は植物。

三内丸山遺跡からは多くの植物の種も見つかりました。
中でもクリやクルミは多く食べられていて、栽培していた可能性が高いことがわかったとのこと。
クリの木は建設部材としても使われていますし、一番身近な木だったのでしょうね。

栽培されていた植物としては、ヒョウタン、ウルシ、アサ、エゴマ、ゴボウなどが見つかっているそうです。

さらに、サルナシ、キイチコ、ヤマブドウ、ニワトコなどの種もたくさん見つかっています。
特にニワトコは普通は食べられないことから、実を発酵させたお酒を造っていたのではないかと考えられています。
『はじめ人間ギャートルズ』で、猿酒を美味しそうに飲んでいるシーンが印象的だったけど、あんな風景が実話だったのかも!ギャートルズの設定は石器時代だけどさ。
ちなみに、猿酒とは、サルが木の洞や岩のくぼみなどに溜め込んだ果実などが自然に発酵して酒になったもののこと。
サルナシはサルがこの果実を猿酒にしたとされることから名づけられたそうですよ。

種が見つかった状態が展示されていましたが、虫眼鏡を覗き込んでもどれが種でどれが土なのか解らなかったよ!

亀ヶ岡遺跡で見てきたのは、圧倒的に甕だったけど、北海道南部から東北地方北部では、縄文時代前期中頃から中期頃(5.500~4.500年)にかけて、筒状をした土器がたくさん造られたそうです。
「円筒土器」と呼ばれていて、外側の下が熱を受けて赤くなっていたり、吹きこぼれの跡が残っていたり、明らかに煮炊きに使われていたことが解っています。

時代によって土器の形が違っていて、前期のものは円筒型で複雑な縄文が施されています。
中期のものは円筒型の他に胴部が膨らむものも見られ、注口、片口、皿型なども見られるようになります。
生活が複雑で豊かになったのかもしれませんね。

にぽぽが好きなのは、やっぱりこの辺り。縄文中期頃のもの。

漆工芸の技術は、縄文時代にほぼ完成していたものと考えられています。
赤い顔料はベンガラ(酸化鉄)。
岩石を砕いて粉になるまですりつぶし、漆に混ぜて使われていたそうです。

漆の樹液や赤い顔料が入った土器も見つかりました。

縄文時代前期の赤漆を塗った櫛なども見つかっています。

こんな風に使ったようです。

縄文時代の遺跡からは、多くの装身具が見つかりますね。






土製や木、石などバラエティにとんだアクセサリー。
ヒスイは、約700km離れた新潟県糸魚川周辺から持ち込まれたもの。

土製や木のものは、普段使いで、石は特別な時に使われたのかな。
特に、ヒスイは別格だったんだろうなー。
ミニチュアの土器も見つかっています。

ミニチュア土器は、土偶など同様に“送り場”と考えられる盛土から多く出土したことから、祭りの道具と考えられているそうですが、大人たちが土器造りの合間につくった子供へのおもちゃ・・・だったらホッコリするなーと思ったりしました。
でも、そこまで長閑な時代ではないですもんね。
残念ながら衣服そのものは見つかっていないのですが、服の可能性がある編布片が出土しています。
出土したものと同じ編み方で推定復元した縄文服。

縦糸と横糸を絡ませて編んだもの。

衣服の制作に使用したと思われる骨製の針も多く見つかっています。

ちゃんと糸を通す穴もあって・・・だんだん、縄文時代のものを見ているとは思えなくなってきているにぽぽです。

ここから見つかった土偶を見ると、丸首の服ではなくV字ネックのものだったのかも。

さらにこの土偶を見ると、

複雑な模様を編み込んでいたのかもしれないなーーーと、またもや妄想が止まらない。

縄文時代は、日本文化の基礎が仕上がった時代と言えるかも。

コーナーの最後には、黒曜石の原石。

鉱物好きのマニア心がむずむずする~(笑)
それにしても、ここのミュージアムは展示の仕方がとても素敵で、ものすごく楽しかった!
ミュージアムショップで、縄文時代の書籍を買い込んで、レストランの前に来ると、
「縄文人もびっくり 栗ソフト栗夢」
と、ダジャレまくりの幟が乱立しておりました。
きらいじゃない、このセンス。
ソフト栗夢・・・クリユメと読んじゃダメですよ、クリームね。

もちろん、購入して食す!
栗夢というだけあって、栗のまんま!
縄文人もびっ栗でしょうが、にぽぽもびっ栗のおいしさでした。
で、食べ終わって思い出す。

♪かぁぜぇたちぃぃぬ~~いーまーはーあき~~
・・・・寒っ!!
慌ててあったかいお蕎麦を注文。

こういうところのお蕎麦って、いわゆるこういうところのお蕎麦なんだろうなーと思ったら、お蕎麦、美味しかった!!
縄文人も食べていた秋の味覚とともに。
今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)

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最終更新日 : 2019-09-29