にぽぽのお散歩日記

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2019-06-30 (Sun)  00:32

青森 三内丸山遺跡で感じる縄文時代の息吹!agein!!

ども にぽぽです=*^-^*=
本日の日記は長いので、写真はサムネールにしてあります。大きい写真を見たい方はダブルクリックしてみてください。

青森の二日目は、善知鳥神社の他にもいろいろと行ったのですが、今回の青森の目的は
じょーーーーうもーーーーーーーん!!(縄文!)

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2015年以来、まだ冷めやらぬ縄文の熱。
さらにブログを休止した2016年には、縄文時代から現代への旅をもくろんでいたので、それを実行しようと、三日目は三内丸山遺跡(2015年11月15日の日記⇒青森 三内丸山遺跡で感じる縄文時代の息吹!その1 )を訪れたのでした。


三内丸山遺跡は、縄文時代前期から中期にかけて(約5.500~4.000年前)の集落跡です。

青森海岸線
(地図はGoogle Earth を利用したもの)

現在の海岸線から4km程度の距離にありますが、縄文時代は現在よりも海が内陸に入っていたので、海から2kmぐらいの距離にあったと思われます。当時の海岸線を、だいたいのイメージで青いラインを入れてみました。


遺跡の詳細は、2015年に訪れたときの記事(2015年11月22日の日記⇒青森 三内丸山遺跡で感じる縄文時代の息吹!その2 )を参照いただくとして、今回は新たに気づいたところを補足しておこうと思います。



遺跡への誘導路にもなっている、縄文時代の道を進んで行きます。

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その進行方向の、こんもりと木が生えている先に川があります。

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右手側に向きますと・・・

20190614-5.jpg

この方向2km先に海がありました。

三内丸山は、川と海、そして背後に山という恵まれた立地にあります。


集落を訪れる人は、海の方向からやって来たそうです。

20190614-6.jpg

海から続いている道側から見た集落の景色はこんな感じ。



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道の両側には、2列に大人の墓が作られていました。

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ちょうど草刈りをしたばっかりだったので、ちょっとわかりにくい・・・。
ピンク色で○印をつけてみました。


土坑墓といいます。

20190614-9.jpg

穴を掘った中に、手足を曲げた形で埋葬されました。

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鏃や生活に使った石器などもいっしょに入れられていたそうです。


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集落に入ってくるメインストリートの両脇に死者を埋葬するのは、集落を守ってもらうという意味があったのだろうということでした。



一方、子どもの墓は住居の近くに作られています。

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しろっぽい四角は、平安時代の遺跡がかさなっているところ。
縄文時代の終わりとともに、三内丸山から人が消えたのですが、平安時代になって再び人が生活するようになったそうですよ。


子どもの墓の話だった!
子どもは亡くなると、丸い穴を開けたり、口や底を打ち欠いた土器の中に入れられ、住居の近くに埋葬されました。

子どもの埋葬に使われた土器です。

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     20190614-15.jpg



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土器の中から握り拳大の丸い石が出土しています。
丸い形は魂を表していて、もう一度生まれてきてという願いが込められているのではないかと考える研究者もいるそうです。

生まれてきても亡くなる赤ちゃんが圧倒的に多かった時代ですが、死に対して鈍感な訳ではなく、悲しみの深さは現代人と同じかそれ以上だったのだろうなと思うと切ない・・・・。


以前来た時に、中に入ってみた竪穴式住居。

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今回は立ち入り禁止になっていて、代わりに別の住居が入れるようになっていました。


住居での暮らしはこんな感じだったようです。

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住居の一番奥には、石棒が祀られていました。

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尖石考古学館に展示されていたもの(2016年01月03日の日記⇒信仰の起源 )は、生々しくお●んち●だったけど、時代や地域によって形や大きさはさまざまらしい。



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縄文時代中期ぐらいまでは今より温暖な気候だったのですが、晩期になると寒冷化して寒くなりました。
小さな住居は雪で埋まってしまい暮らせなかったため、大型の住居に集団で暮らしていたのではないかと考える研修者いるそうです。

それがこの大型掘立柱建物。

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ある実験では、この中に300人入れることが実証されたとか。
ぎゅうぎゅうだろうけど、寒い冬を生き抜くことだけを考えているので、プライバシーとかそんな次元じゃないし。

柱は栗の木。
表面を焼いて腐りにくくする加工は、縄文時代には確率された技術だったそうです。


この大柱の建造物も、栗の木。

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6本の柱の跡が見つかっただけなので、柱は独立して建っていた可能性もある訳で、どういう建造物だったのか想像でしかないのですが、6本ばらばらだったら倒れやすいので、横柱などで互いに固定していたのではいかなと、私は思います。

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見張り台という説もありますが、縄文時代には他の集落との戦いはなかったようですし、やっぱり祭りに使われた建物なんじゃないのかな~と。

いやいや、とにかく大迫力!



ダジャレまくりの「縄文人もびっくり 栗ソフト栗夢」は健在でした。

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次の旅は弥生時代だ、オーーーッ(。>v<。)ノ゙*。


今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)

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最終更新日 : 2019-09-22

No Subject * by イノぶた
人を埋葬するって おこちゃまを土器に入れて埋葬 棺桶だわね・・・思いは今も昔も変わらない 「愛」を感じるね

栗ソフト栗夢 笑)
私は見つけられなかったわ 次回は私も頂きましょう! ^^


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No Subject

人を埋葬するって おこちゃまを土器に入れて埋葬 棺桶だわね・・・思いは今も昔も変わらない 「愛」を感じるね

栗ソフト栗夢 笑)
私は見つけられなかったわ 次回は私も頂きましょう! ^^

2019-06-30-23:28 * イノぶた [ 編集 ]