ども にぽぽです=*^-^*=
本日の日記は長いので、写真はサムネールにしてあります。大きい写真を見たい方はダブルクリックしてみてください。
田んぼです。

四方ぐるりが田んぼと畑です。

そして、雨です、、、。
佐賀県は佐賀市の北に位置する、「東名(ひがしみょう)遺跡」にやってきております。

東名遺跡は、縄文時代早期(約8.000年前年前)の遺跡です。

(地図はGoogle Earth を利用したもの)
東名遺跡は現在の海岸線から12km程度の距離にありますが、現在よりも温暖であった縄文時代の海岸線は遺跡付近にあったようです。
当時の海岸線を、イメージで青いラインを入れてみました。
縄文人たちは、海の幸を求めて約8.000年前にこの地に住み着きました。
当時の環境は大きな河口を臨む丘陵地の端に位置しており、カシやシイの木などの照葉樹林が生い茂り、河口付近にはイネ科、ヨモギ科、カヤツリグサ科などの草が生育し、干満の影響が強い干潟であったと考えられています。
縄文人たちは丘の上に居住し、その落ち際に点々と6つの貝塚を形成しました。

(地図はGoogle Earth を利用したもの)
ところが、その後も温暖化が進み、海面が上昇していったため人が住むことができなくなったようです。
河川の運ぶ土砂と満潮の巻き上げる細かい土が一気に堆積していき、約7.000年前ごろには、縄文人の生活の痕跡は粘土層の下に埋没してしまいました。
地下深くに眠っていた縄文人たちの痕跡が発見されたのは、洪水対策用の調整池建設に伴う調査によってです。
現地表面下1~2mを調査した結果、167ヶ所の炉跡や墓地、土器や石器が発見され、縄文遺跡の少ない佐賀において貴重な資料となったのですが、調査を終えて重機による掘削工事中に6ヶ所の貝塚が発見され、急遽調査を再開することとなり、現地表面5~7mの深さに埋没していた貝塚を初め、日本最古級の遺物が大量に出土したのでした。
重機が削ったのが、ちょうど貝塚の上部だったという奇跡!
ガバーーーーっと掘ってしまっていたら、東名遺跡は気づかれずに破壊されてしまっていたかもしれないんですねぇ。
では、東名縄文館で出土品を堪能したいと思います!
入場は無料!

貝のアクセサリー

800点以上出土。
近くの有明海では採れない貝種も多く、玄界灘や南西諸島から持ち込まれたようです。
広域な交流があったと考えられています。
骨角製のアクセサリー

300点以上出土。
猪の牙のペンダント、エイやサメ椎骨のピアス、鹿角製のヘアピン。

特に点描画のような細工の装飾品は、美しすぎました!
縄文早期にこんな技術があったとはビックリです。
木製の立櫛

土器

縄文土器って朱っぽい茶色のイメージがありましたが、ここの土器はグレーがかった茶。
唐津の焼き物のようじゃありません?
焼き物の色はその土地の土の色に影響されるんだなーと、思った瞬間でした。

さらにここの土器の文様は縄目ではなく、貝を押し付けたり、引っかいたりして作ったものなんですって。
石器類

人骨も見つかっています。

8人分の骨が10mほどの円内にまとまって発見されました。

3体同時に埋葬された人骨も見つかっています。これはレプリカですけど。
死んだ人を埋める場所は決まっていたようです。
ここに来た一番のお目当てはこれ!


ガラス越しの撮影なのでわかりにくいんですが、、、
編みかごです。
東名遺跡では731点の編みかごが発見されました。
黒くて丸い粒は、いっしょに発見されたどんぐりです。
水が湧くような低い場所に穴を掘り、どんぐりを入れたかごを入れて貯蔵していたのだそうです。
どんぐりを水に漬けることで、虫を殺したり灰汁を抜くことができるという一石二鳥の知恵。
縄文人、スゴイ!

かごは高さ50cmのものから1mほどの大きなものまで、様々。

大型のかごが復元されていました。
大型のかごの材料はムクロジやイヌビワなどの木の皮、小型のかごの材料はツヅラフジやテイカカヅラなどのツル植物だそうです。

東名遺跡で確認された編組技法は様々なものがあり、現代に見られるほとんどの技法が縄文時代早期の段階で成立していたそうですよ。
通常の遺跡には残っていないようなものが東名遺跡で状態よく残ったのは、厚い粘土層で覆われて外気と遮断されたことと、水気の多い湿地にあったためにツルや木で作った植物性遺物ものが残ったこと。
そしてこれ!

貝塚があったため。
貝殻のカルシウム分で土が中和されて動物の骨などの動物性遺物が残ったこと。
3つの条件が揃った、まさに奇跡のタイプカプセルなんですね~。

東名遺跡に暮らした縄文人が食べていたものは、河口や干潟に住むヤマトシジミ、アゲマキ、ハイガイ。
木の実は、ドングリをはじめとして、クヌギ、ナラガシワ、イチガシの他にオニグルミやカヤ。
魚はスズキ、ボラ、クロダイなど比較的大きな魚、その他にエイ、サメ類やスッポン!
動物は圧倒的に鹿とイノシシが多く、その他、ノウサギ、タヌキ、ニホンザル、アナグマなども食べていたようです。
貝塚の上の方にある牡蠣の貝殻なんて大人の手より大きいです!
ちょーーーーーグルメ!
こんなすごい遺跡なのにあまり人は来ないようで、縄文館にいた係のおじさまは、東京から来たと言ったら、
「東京からわざわざ?ヘェェッ!なんでここを知ったんですか?」
と、ものすごく驚いていました。
縄文文化は東日本以北に残るもので、西日本にはほとんど無いと思っていたーーー。
日本最古級の縄文遺跡が佐賀にあるなんて、知らなかった。
青森の三内丸山遺跡に劣らずスゴイ遺跡なのに、存在が地味すぎるっ!!!
もっとアピールすればいいのに、もったいないっ!

貝塚も保存のために埋め戻されてるから、調整池と野原しかない・・・。
変態級の歴史オタクのにぽぽは、野原でもじゅーーぶん浪漫を感じられたけど(笑)。
今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)

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田んぼです。

四方ぐるりが田んぼと畑です。

そして、雨です、、、。
佐賀県は佐賀市の北に位置する、「東名(ひがしみょう)遺跡」にやってきております。

東名遺跡は、縄文時代早期(約8.000年前年前)の遺跡です。

(地図はGoogle Earth を利用したもの)
東名遺跡は現在の海岸線から12km程度の距離にありますが、現在よりも温暖であった縄文時代の海岸線は遺跡付近にあったようです。
当時の海岸線を、イメージで青いラインを入れてみました。
縄文人たちは、海の幸を求めて約8.000年前にこの地に住み着きました。
当時の環境は大きな河口を臨む丘陵地の端に位置しており、カシやシイの木などの照葉樹林が生い茂り、河口付近にはイネ科、ヨモギ科、カヤツリグサ科などの草が生育し、干満の影響が強い干潟であったと考えられています。
縄文人たちは丘の上に居住し、その落ち際に点々と6つの貝塚を形成しました。

(地図はGoogle Earth を利用したもの)
ところが、その後も温暖化が進み、海面が上昇していったため人が住むことができなくなったようです。
河川の運ぶ土砂と満潮の巻き上げる細かい土が一気に堆積していき、約7.000年前ごろには、縄文人の生活の痕跡は粘土層の下に埋没してしまいました。
地下深くに眠っていた縄文人たちの痕跡が発見されたのは、洪水対策用の調整池建設に伴う調査によってです。
現地表面下1~2mを調査した結果、167ヶ所の炉跡や墓地、土器や石器が発見され、縄文遺跡の少ない佐賀において貴重な資料となったのですが、調査を終えて重機による掘削工事中に6ヶ所の貝塚が発見され、急遽調査を再開することとなり、現地表面5~7mの深さに埋没していた貝塚を初め、日本最古級の遺物が大量に出土したのでした。
重機が削ったのが、ちょうど貝塚の上部だったという奇跡!
ガバーーーーっと掘ってしまっていたら、東名遺跡は気づかれずに破壊されてしまっていたかもしれないんですねぇ。
では、東名縄文館で出土品を堪能したいと思います!
入場は無料!

貝のアクセサリー

800点以上出土。
近くの有明海では採れない貝種も多く、玄界灘や南西諸島から持ち込まれたようです。
広域な交流があったと考えられています。
骨角製のアクセサリー

300点以上出土。
猪の牙のペンダント、エイやサメ椎骨のピアス、鹿角製のヘアピン。

特に点描画のような細工の装飾品は、美しすぎました!
縄文早期にこんな技術があったとはビックリです。
木製の立櫛

土器

縄文土器って朱っぽい茶色のイメージがありましたが、ここの土器はグレーがかった茶。
唐津の焼き物のようじゃありません?
焼き物の色はその土地の土の色に影響されるんだなーと、思った瞬間でした。

さらにここの土器の文様は縄目ではなく、貝を押し付けたり、引っかいたりして作ったものなんですって。
石器類

人骨も見つかっています。

8人分の骨が10mほどの円内にまとまって発見されました。

3体同時に埋葬された人骨も見つかっています。これはレプリカですけど。
死んだ人を埋める場所は決まっていたようです。
ここに来た一番のお目当てはこれ!


ガラス越しの撮影なのでわかりにくいんですが、、、
編みかごです。
東名遺跡では731点の編みかごが発見されました。
黒くて丸い粒は、いっしょに発見されたどんぐりです。
水が湧くような低い場所に穴を掘り、どんぐりを入れたかごを入れて貯蔵していたのだそうです。
どんぐりを水に漬けることで、虫を殺したり灰汁を抜くことができるという一石二鳥の知恵。
縄文人、スゴイ!

かごは高さ50cmのものから1mほどの大きなものまで、様々。

大型のかごが復元されていました。
大型のかごの材料はムクロジやイヌビワなどの木の皮、小型のかごの材料はツヅラフジやテイカカヅラなどのツル植物だそうです。

東名遺跡で確認された編組技法は様々なものがあり、現代に見られるほとんどの技法が縄文時代早期の段階で成立していたそうですよ。
通常の遺跡には残っていないようなものが東名遺跡で状態よく残ったのは、厚い粘土層で覆われて外気と遮断されたことと、水気の多い湿地にあったためにツルや木で作った植物性遺物ものが残ったこと。
そしてこれ!

貝塚があったため。
貝殻のカルシウム分で土が中和されて動物の骨などの動物性遺物が残ったこと。
3つの条件が揃った、まさに奇跡のタイプカプセルなんですね~。

東名遺跡に暮らした縄文人が食べていたものは、河口や干潟に住むヤマトシジミ、アゲマキ、ハイガイ。
木の実は、ドングリをはじめとして、クヌギ、ナラガシワ、イチガシの他にオニグルミやカヤ。
魚はスズキ、ボラ、クロダイなど比較的大きな魚、その他にエイ、サメ類やスッポン!
動物は圧倒的に鹿とイノシシが多く、その他、ノウサギ、タヌキ、ニホンザル、アナグマなども食べていたようです。
貝塚の上の方にある牡蠣の貝殻なんて大人の手より大きいです!
ちょーーーーーグルメ!
こんなすごい遺跡なのにあまり人は来ないようで、縄文館にいた係のおじさまは、東京から来たと言ったら、
「東京からわざわざ?ヘェェッ!なんでここを知ったんですか?」
と、ものすごく驚いていました。
縄文文化は東日本以北に残るもので、西日本にはほとんど無いと思っていたーーー。
日本最古級の縄文遺跡が佐賀にあるなんて、知らなかった。
青森の三内丸山遺跡に劣らずスゴイ遺跡なのに、存在が地味すぎるっ!!!
もっとアピールすればいいのに、もったいないっ!

貝塚も保存のために埋め戻されてるから、調整池と野原しかない・・・。
変態級の歴史オタクのにぽぽは、野原でもじゅーーぶん浪漫を感じられたけど(笑)。
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最終更新日 : 2019-09-22