にぽぽのお散歩日記

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2019-08-31 (Sat)  21:53

佐賀 復元された弥生集落 吉野ヶ里遺跡 その3

ども にぽぽです=*^-^*=
本日の日記は長いので、写真はサムネールにしてあります。大きい写真を見たい方はダブルクリックしてみてください。


吉野ヶ里遺跡を特徴づけるものに甕棺墓があります。
甕棺墓は、高さ1m以上の素焼きの巨大な土器を棺としたものです。

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九州北部の佐賀県東部と福岡県西部でとくに盛んにおこなわれた墓制です。
その特徴的な甕棺墓を見に行こうと思います。


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吉野ヶ里遺跡はとにかく広い!
なのでこんな巡回バスが走っています。

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吉野ヶ里遺跡の説明が聞けるようになっているので、出発時間までの待ち時間も退屈しませんよ。
ここも、人が近づくと突然映像が流れだす仕組みになっています。



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吉野ヶ里遺跡内のあちこちに墓所が作られていましたが、弥生時代中期前半になると、列状の大規模な墓地にまとめられました。

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発掘時の状況はこんなでした。

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甕棺墓地を詳しく見ると、列は20~40m前後の感覚で区切りがあることがわかりました。
おそらく一区切りが一つの家族というか血縁集団の墓域だと考えられています。

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それぞれの墓群のなかには、際立って大きな甕棺やほかの墓より広い墓域を持つもの、周囲を溝や祭祀土坑によって囲んだもの、土饅頭ではなく盛土をして小規模な墳丘を持っていた可能性のある墓所や墓域の中心に位置するものなど特別なものがあります。
そんな墓所には、南海(沖縄・奄美)でしか採れないのゴボウラ貝の腕輪や銅剣や鉄製品などを副葬してあり、集落の中に身分階層が生まれ始めていることを示しています。

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甕棺墓からは人骨や髪の毛も見つかりました。

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出土した人骨を分析したところ、成人男性で平均身長は162.4cmあり高身長であることがわかっています。中国の長江下級域から山東半島にかけての地域と朝鮮半島から出土した同時代の人骨と近い数値であるとされ、吉野ヶ里周辺の人骨の大半は高身長、高顔のいわゆる渡来系人骨であることが判明しています。

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甕棺墓から出土した人骨のなかには、石鏃が突き刺さったものや頭骨の無いもの、刀傷が存在するもの、大たい骨が折れたものなどがあります。
また人骨は残っていないものの、棺内から石鏃や石剣の先端部のみが出土した例もいくつかあり大半は戦いの犠牲者と考えられています。

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北部九州地域では、このような戦いの犠牲者と思われる人骨が数多く出土していて、とくに中期の前半に多いそうです。
佐賀では吉野ヶ里遺跡周辺で多く見られ、『魏志倭人伝』に「倭国大乱」と書かれたような戦いが弥生時代後半に起こっていたのは間違いない事実でしょう。



次は、吉野ヶ里遺跡を保存することを決定づけた「北墳丘墓」を見に行きましょう。

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墳丘墓は、吉野ヶ里遺跡の北側にあり、南北約40m、東西27m、盛土の高さは4.5mの平面角丸長方形をしています。
今からおよそ2100年前の弥生時代中期に築かれました。

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外環濠の外から墳丘墓まで延びている道があります、
吉野ヶ里集落だけでなはく、周辺集落を含めたこの地域の「クニ」全体の人々が墳丘墓にお参りするための道であったと考えられています。



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ぐるりと周って・・・

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なんだかこの景色、出雲の「よすみ」(2015年2月8日の日記⇒神話の里出雲 王家の谷?!西谷墳墓群)を思いだすなぁ・・・

墳丘墓に入れるようになっています。

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そして、発掘した当時の甕棺墓の状態を大パノラマで見ることができます。

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本物の迫力というか、ものすごく興奮するんですけどっ。
私だけですか?変態なんでしょうか?

この墳丘墓からは、弥生時代中期前半から中頃にかけて14基の大型の成人用甕棺が発見されました。
一番最初に埋葬されたのは、墳丘の中心にある甕棺墓であることが調査の結果わかりました。

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その後、南からほぼ逆時計回りに13基の甕棺墓が営まれ続けたことが、甕棺墓に使用された甕の編年から判明しています。

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墳丘墓の甕棺は内外面を塗料で黒く塗られ、内側はさらに当時非常に貴重な朱が塗られていました。

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全ての甕棺が大型の成人用で銅剣を副葬したものが多いことから、墳丘墓は家族墓ではなく身分の高い男性だけを埋葬した可能性が高く、吉野ヶ里を治めていた歴代の王の墓と考えられています。


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ここに王たちが埋葬されていた時期は100年に満たないのですが、墳丘墓の東側で発見された南北約50mの土坑に弥生時代中期後半から後期にかけて祭祀土器が継続して捨てられていたことが解っています。


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また、墳丘墓の前には祖先の霊が宿る柱と考えられている立柱と、歴代の王の祖霊へのお供えやお祈りを捧げる祀堂があり、墳丘墓への埋葬を終えた後も、長い間祖霊祭祀が続けられていたことが分かります。

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狩猟採集生活をしていた縄文時代は自然信仰、稲作して定住生活が始まった弥生時代に祖霊信仰が出現したんだな~って。
今の日本には、自然信仰もあるし、ご先祖様へお墓参りなんかもするし、これって縄文時代と弥生時代の両方が残っているっていうことなのかな。日本ってやっぱり面白い。



今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)

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最終更新日 : 2019-09-22

No Subject * by イノぶた
大きなツボが 棺だったのね
硬直前に入れてあげないと
なかなか大変そうですわね
よく古墳は 見るけど
中が見えるってなかなかないのでしょうか?
わくわくしますよ~ (私的には にぽちゃんの比ではありませんけど 笑)

墓参り習慣 なるほどですわね!


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No Subject

大きなツボが 棺だったのね
硬直前に入れてあげないと
なかなか大変そうですわね
よく古墳は 見るけど
中が見えるってなかなかないのでしょうか?
わくわくしますよ~ (私的には にぽちゃんの比ではありませんけど 笑)

墓参り習慣 なるほどですわね!

2019-09-01-19:08 * イノぶた [ 編集 ]