にぽぽのお散歩日記

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2019-09-18 (Wed)  08:45

佐賀 どしゃぶりの旧長崎街道 その2

ども にぽぽです=*^-^*=
本日の日記は長いので、写真はサムネールにしてあります。大きい写真を見たい方はダブルクリックしてみてください。


伊勢神社でお参りを澄ませて、長崎街道に戻ります。

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伊勢神社から東へ向かうと、長崎街道は国道264号線に分断されているので横断歩道を渡る!

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国道を渡ると・・・

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護国神社手前で曲がる。

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多布施川に架かる善佐衛門橋。

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多布施町から伊勢町に通じる土橋が老朽化し通行が困難であったので、多布施の資産家の宇野善佐衛門さんが明和元(1764)年自費で石橋に掛け替えを行ったものだそうです。

橋を渡ったところにある恵比寿さんは、善佐衛門恵比寿。

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間違いに気付いた瞬間!

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長崎街道は善佐衛門橋を渡り直進していたのですが、間違えて右に曲がってしまいました。


そして長崎街道に戻った瞬間(笑)

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ここまででお気づきかもしれませんが、長崎街道は道にベージュ色の塗装がされています。
気が利いているぞ佐賀県!

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旧中町にある江戸恵比寿

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この恵比寿像が作られたのは寛政5(1793)年で、佐賀市内で最も古い像の一つだそうです。


江戸恵比寿が見守っている岩永家は、江戸中期から商売をはじめ、小間物屋、米屋、そして現在はスーパーと歯科クリニックを営んでいるそうです、すごい!!

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岩永家のスーパーの近くには、やはり古くから商いを行っていそうなお店がありました。

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この辺り、江戸時代も商店の立ち並ぶ場所だったのかな~。

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鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を勧請した佐賀八幡宮と楠正成・正行父子を祭神とする楠神社のところで街道は四辻になっています。

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街道といえばおなじみの“札ノ辻”、法令などを掲示する高札場があったところです。
ここが佐賀城下を貫く長崎街道のほぼ中央に当たります。


長崎街道は、商店街のアーケードに入っていきます。

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この日はあいにく(というか、雨女のにぽぽにとっては覚悟の上の)雨。
アーケードで雨をよけられるのはありがたいし、お茶をするところもなく歩いてきたので一休みしたいところ。

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トネリコカフェさんのお店の前に、佐賀のご当地グルメ「シシリアンライス」の看板を見つけて、お店の中にまっしぐら!


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シシリアンライスとは、ご飯の上に甘辛いタレで炒めた薄切り肉と玉ねぎを乗せ、その上にレタスやトマト、きゅうりなどの生野菜を盛り付け、仕上げにマヨネーズをかけた料理だそうです。

起源や名称について誰も分かっていないらしいですが、「昭和50年頃に佐賀市中心街にある喫茶店で誕生した」、「エビやいかを使ってイタリアのシチリア島をイメージした」というような噂があるらしいです(笑)。

サラダうどんならぬサラダご飯というか、なんというか。
レタスとご飯の組み合わせは今ならあまり抵抗ないですけど、昭和50年頃と考えれば、逆に進んでるメニューだったんじゃないかな~。



長崎街道はなおも東へ続いていきますが、にぽぽは街道を外れて、もう一つの目的である佐賀城へ向かいます。
長崎街道と直角に交わる白山町。

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この辺りは佐賀城下33町のうち初期に整備された町の一つです。
この辺りには藩外の使者などを迎える客屋や、佐賀の名薬である萬金丹を製造販売した武富家などの薬種店、書店などが軒を連ね賑わっていて、旅人の目には「城下のうち一番の町並みなり」と映ったそうです。

南に向かっている道は中央大通り。まっすぐ進んでいくと、やがて佐賀城に行きつきます。


中央大通りに交わる八幡小路。

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先ほど歩いてきた佐賀八幡宮がもともとこの辺りにあったことに由来する小路で、通りの両側に中級クラスの武家の屋敷が並んでいました。武家屋敷の門が残っているので、小路に入って歩いてみます。

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豊増家(旧鍋島監物屋敷)の門。

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正面向かって左側に二階建ての番所があり、右側には籠を納める倉庫があります。

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八幡小路沿いの家の敷地は、今でもとてもゆったりと広く、江戸時代からの中級武士の屋敷割が残っている感じがしました。
かつてのこの通りには、こんな門がどの家の前にもあったのだろうと、しばし妄想。


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中央大通りに戻ってきました。


八幡小路の次は中之小路。

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角には百貨店の佐賀玉屋があります。
ちなみに、佐賀玉屋は文化3(1806)年に田中丸善蔵さんが荒物屋「田中丸商店」として創業した流れをくんでいます。


中之小路は、大名小路とも呼ばれ、家老などの重臣が多く住み、藩内の寺社を管理する寺社方などの役所もありました。
今、この通りには佐賀地方裁判所や佐賀地方検察庁が建っています。

街歩きをしていると、土地の歴史ってつながっていくんだなーと感じることがありますが、ここも、そんなことを感じた場所でした。



中之小路の次が松原小路。

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松原川に面した武家地です。お城のすぐそばなので、かつて通行者が城内を見通せないよう松の樹林があったことに由来します。

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旧嬉野家の武家屋敷の門が残されています。

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嬉野家は佐賀県西南部の杵島・藤津地方を中心に勢力を持っていた武士で、13世紀の蒙古襲来でも活躍しました。
江戸時代に佐賀藩家臣団に組み込まれて天保3(1842)年に嬉野与右衛門がこの地に移り住んだとのこと。
屋敷地は約30間(60m)と広大だったそうです。


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松原川河童水園なんていうものが整備されたり、石の河童像が置かれていたり、河童押しがすごいと感じながら歩くことしばし。

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なんと、松原河童社がありました!

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うわ~っ!参道が水路からあがっているじゃないですかっ!
久しぶりに、かっぱにぽぽの血が騒ぐわぁ~。

※かっぱにぽぽ(2010年8月6日の日記⇒台東区 かっぱの住む街 - その1 かっぱ寺 - )・・・人より多く水分を欲するようで、お散歩の度に頭のお皿が乾くことを自覚(好物はきゅうりのレモン漬け)故。


河童社の御祭神はかっぱさんではなく三柱の水神です。
水分神(みくまりのかみ)・・・流水を疎通分配することを司る神。
弥都波能売神(みつはのめのかみ)・・・水の女神。「みつは」から、水つ走で、水路を走る女神とされます。
闇淤加美神(くらおかみのかみ)・・・闇は渓谷、峡谷を意味し、淤加美は水を掌る龍神、蛇神とされます。

佐賀の地は海抜との差があまりない平野で、河川やクリークと呼ばれる水路が多く巡らされ灌漑用水や生活用水として重要な役割を担ってきました。治水がなされている今と違い、昔は水害が多くなくなる人も多かったそうです。
水路は水の流れを司る神様が祀られている意味が分かりますね。


河童社を摂社に持っているのは松原神社。

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境内には、大楠があります。

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先ほどの河童社の他、たくさんの摂社を抱えています。


松原稲荷神社。

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何故か大音量で童謡を流している松原恵比寿。

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縁結びの樹らしい、松原椰木社

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そして松原神社の拝殿。

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松原神社と横向きにくっついている佐嘉神社との境に松根社。

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表にまわって、佐嘉神社。

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なんで神社が横向きにくっつているんだろうと思って調べてみますと、そもそもは安永元(1772)年も鍋島家の始祖・直茂を祀るために日峯大明神として創建され、文化14(1817)年に祖父鍋島清久と直茂公室の鶴姫を合祀、明治5年に佐賀藩初代藩主となった鍋島勝茂を合祀し松原神社に改称。

明治6年に佐賀藩10代藩主・鍋島直正を祀り、さらに鍋島家だけでなく、鍋島氏以前に佐賀を納めていた龍造寺家も祀り、大正12(1912)年に佐賀藩11代藩主・鍋島直大が合祀。昭和8年に佐嘉神社が創建されて、松原神社の鍋島直正を遷座、昭和23年に佐賀11代藩主の鍋島直大の霊を遷座しているそうです。

戦が無くなり平和になった江戸時代に各藩で藩祖を祀る神社が創建されており、松原神社もその一つだということですが、佐嘉神社が造営されたのは昭和になってからなんですね・・・。

と、いうことで狛犬さんを見つつ、

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佐嘉神社でお参り。

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佐嘉神社には、日本最初の鋳造鉄製150ポンドカノン砲が置いてあります。

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10代藩主・鍋島直正が、長崎警備増強の必要性を痛感して築造した反射炉で鋳造した鉄でつくったやつですね。
この大砲は、当時品川砲台に備えられたもののひとつを復元した物。

佐賀では大晦日に行われる新年へのカウントダウン後、このカノン砲をぶっ放すらしいです。


佐賀藩は鳥羽伏見の戦いには参戦しませんでしたが、江戸無血開城後に勃発した戊辰戦争には新政府軍として参戦しています。
会津でも函館でも、旧幕府軍は佐賀藩のカノン砲やアームストロング砲にやられたんだわ。うぅぅ・・・涙。



さあ、佐賀城に向かいましょう。

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内堀が広いーーーーーっ!!!

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現在地、堀を渡ったここです。

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ものっすごい土砂降りになってるし、靴もびしょびしょだしーーーー。

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県立図書館の1階のカフェで一休み。

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いやいや~・・・よく歩いたので、甘いものが滲みますわ~。



充電できたところで、再び雨の中を進め、進め~~っ!

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佐賀は本当に水路が多い。

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たどり着きました!佐賀城本丸入口の交差点!!

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ここが現在地!

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次回は本丸へ突入します。






今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)

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最終更新日 : 2019-09-21

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